柴崎稲荷神社|調布市柴崎の神社

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柴崎稲荷神社|旧称天満宮山王稲荷合社

柴崎稲荷神社の概要

柴崎稲荷神社は、調布市柴崎にある稲荷神社です。柴崎稲荷神社の創建年代は不詳ですが、天満宮山王稲荷合社と称し、小田原北条氏の時代に社地の寄進を受けていたといい、明治4年村社に列格していました。

柴崎稲荷神社
柴崎稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 大山咋命、菅原大神
境内社 -
住所 調布市柴崎2-11-4
備考 旧村社



柴崎稲荷神社の由緒

柴崎稲荷神社の創建年代は不詳ですが、天満宮山王稲荷合社と称し、小田原北条氏の時代に社地の寄進を受けていたといい、明治4年村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による柴崎稲荷神社の由緒

(柴崎村)天満宮山王稲荷合社
社地年貢地、七段十歩、村の東にあり、二間に二間半の覆屋、村の鎮守なり、三開寺持
三開寺
稲荷社地中にあり、北野山遍照院と號す、羽黒派の修験、本尊大日、木の坐像、長九寸、本堂荒廃に及びたれば、今假に光照寺に置、開山開基詳ならず、元禄中の起立といふ。(新編武蔵風土記稿より)

北多摩神社誌による柴崎稲荷神社の由緒

五穀豊穣の神又安産の神として信仰深く貼付し柴崎の鎮守社である。縁起創立年月ともに不詳であるが、小田原北条氏の時代に境内地並に畑山村等一町歩余り寄進せられたと伝えられている。其の後寛永年間地頭佐橋氏に引渡され、延宝四年中検地がある、境内除地一反五畝歩となったと記されている。明治四年村社に列せられ、同三十四年改築した。(北多摩神社誌より)

「調布市百年史」による柴崎稲荷神社の由緒

稲荷神社(柴崎)
<祭神>大山咋命、倉稲魂命、菅原大神
<由緒>明らかでないが、古くは天満宮山王稲荷合社と称して、現在地にあった羽黒派の修験寺、三開寺が所有していたようである。のち、三開寺は荒廃、本尊は柴崎町の光照寺に移され、廃寺となったが、その跡へ社殿が建てられたとのことである。
明治三九年の『明細帳』によると、小田原北条家、江戸時代にはいって徳川家からと、再度にわたって社地の保護を受けたことが記載され、広い社地を有していたようである。三開寺所有とはいっても、寺の方が社地の中にあったもようである。
その後、社地を減じたようだが、明治三六年に御料地の払い下げを受け、昭和一一年には、日本針布所有地の一部を買収したりして、現在の社地を確保した。
周囲に大工場が多いが、後ろは台地斜面の雑木山、南方は柴崎町を一望にすることができる場所で、鎮守として好適である。
社殿は南に面して建ち、拝殿の間口ニ間、奥行二間、本殿は一段高い地の覆屋内にある。総ケヤキの流れ造りは、荘厳感に満ちている。大正二年の造築、一本のケヤキでつくったという。(「調布市百年史」より)


柴崎稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 北多摩神社誌(北多摩神道青年会むらさき会)
  • 「調布市百年史」