慈眼寺|あきる野市小川にある臨済宗南禅寺派寺院

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久保山慈眼寺|徳川家光より寺領10石の御朱印状

慈眼寺の概要

臨済宗南禅寺派寺院の慈眼寺は、久保山と号します。慈眼寺の創建年代等は不詳ながら、永享10年(1438)の創建と伝えられ、普門寺五世碧山有泉禅師を享徳年間(1452-1545)に勧請開山としたと伝えられます。江戸期には徳川家光より慶安2年(1649)に寺領10石の御朱印状を受領しています。

慈眼寺
慈眼寺の概要
山号 久保山
院号 -
寺号 慈眼寺
住所 あきる野市小川484
宗派 臨済宗南禅寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



慈眼寺の縁起

慈眼寺の創建年代等は不詳ながら、永享10年(1438)の創建と伝えられ、普門寺五世碧山有泉禅師を享徳年間(1452-1545)に勧請開山としたと伝えられます。江戸期には徳川家光より慶安2年(1649)に寺領10石の御朱印状を受領しています。

新編武蔵風土記稿による慈眼寺の縁起

(小川村)慈眼寺
年貢地、村の南寄にあり、久保山と號す、村内法林寺末、本堂四間に七間なり、本尊正観音坐像にて、長七寸許りを安す、慈覺大師の作と云、開山開基詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)

「秋川市史」による慈眼寺の縁起

地蔵院 雨間一一〇一番地
山号は竜雨山という。本尊は地蔵尊である。臨済宗建長寺派である。
開創は永享十年(一四三八)と伝えているが、開基は詳かにしていない。その後、普門寺五世碧山有泉禅師を請うて開山としたのが、享徳年間(一四五二~五四)と伝えている。碧山有泉禅師の示寂したのは享徳三年(一四五四)九月十三日である。
江戸時代、慶安二年(一六四九)八月二十四日、三代将軍家光より御朱印十石を下付された。その後、年代は分からないが火災にあい堂宇、古記録類はすべて烏有に帰した。
十七世芸叟碩耕和尚(天明四年<一七八四>一月二十九日示寂) の時再建され、以後順次復興に努力し、大正十五年(一九二六)には本堂の茅葺き屋根を、現在のような亜鉛葺きに改めたのであった。
なお「新編武蔵風土記稿』には、雨間に所在した寺で、普門寺末の常福寺と大仙寺を記載している。この二寺は明治初年に地蔵院へ合併したのである。(「秋川市史」より)


慈眼寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「秋川市史」