法林寺|あきる野市小川東にある臨済宗南禅寺派寺院

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神護山法林寺|平安時代開創、片倉城主大江道広再興

法林寺の概要

臨済宗南禅寺派寺院の法林寺は、神護山と号します。法林寺は、延喜2年(921)に寺院として開創したと伝えられ、広園寺を創建した大江道広(長井道広)が当寺を開基、法林圓融禅師(康応元年1389年寂)が開山したと言います。江戸期には秋川地区では一番多い寺領25石の御朱印状を拝領しています。

法林寺
法林寺の概要
山号 神護山
院号 -
寺号 法林寺
住所 あきる野市小川東2-12-10
宗派 臨済宗南禅寺派
葬儀・墓地 法林寺法光庵
備考 ほうりんじ幼稚園



法林寺の縁起

法林寺は、延喜2年(921)に寺院として開創したと伝えられ、広園寺を創建した大江道広(長井道広)が当寺を開基、法林圓融禅師(康応元年1389年寂)が開山したと言います。江戸期には秋川地区では一番多い寺領25石の御朱印状を拝領しています。

新編武蔵風土記稿による法林寺の縁起

(小川村)法林寺
境内、千二百坪、御朱印地内、村の東寄にあり、禅宗臨済派、同郡山田村廣園寺の末山、神護山と號す、開山法林圓融禅師康應元年三月六日寂す、本尊釋迦立像長一尺五寸、客殿六間に九間、東向、寺領として御朱印廿五石の地を賜ふ。
鐘楼。客殿の傍にあり、九尺四方。(新編武蔵風土記稿より)

「秋川市史」による法林寺の縁起

法林寺 小川八九九番地
山号を神應山といい、臨済宗南禅寺派に属し、八王子市山田にある広園寺の末寺になっていた。本尊は正観世音菩薩である。
寺伝によれば、延喜十二年(九二一)二月二十一日に開かれたということになっているが、開基は安成院満慶で開山と開創当初の宗派も不明である。その後になって、室町時代の中ごろ、応永年間(一三九四~一四二七)大江道広を開基として再興されたという。
大江道広は長井道広ともいい、片倉城主(八王子市片倉)で、康応二年(元中七年<一三九〇>)武州横山(八王子市山田)に広園寺を造営した。応永九年(一四〇二)七月二十九日、奥州置玉(山形県置賜郡)で戦死しているので、法林寺再興は、それ以前でなければならない。
再興の時の開山は法光円融禅師である。禅師は『新編武蔵風土記稿』によれば、康応元年(元中六年<一三八九>)に示寂したという。この示寂の年が正しいとすれば、応永年間の中興でなくもうすこしその年代は遡り、少なくとも一三七〇年か八〇年代になるのではあるまいか。
江戸時代は寺領として、御朱印二十五石であったが、市内では社寺を通じ一番高い石高であった。延宝年間(一六七三~八〇)の火災により、古記録をすべて焼失して、寺の沿革等は詳かでない。その後復興され現在に至っている。
境内は『新編武蔵風土記稿』に「千二百坪」とあるが、今も広大でよく整えられている。庭前に市指定天然記念物の赤松とあらがしがある。この境内は、土塁なども残り中世の土豪の館跡ではないかという説がある。(中略)
本尊は正観世音菩薩である。なお明治維新の神仏分離の折鎌倉鶴岡八幡宮より遷座された達麿大師坐一像(木造)がある。市域の新開院の薬師三尊などと同時にきたものであるという。(「秋川市史」より)


法林寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「秋川市史」