玉泉寺|あきる野市二宮にある天台宗寺院

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鷲峰山玉泉寺|徳川家光より寺領20石の御朱印状、二宮小学校に供用

玉泉寺の概要

天台宗寺院の玉泉寺は、鷲峰山不動院と号します。玉泉寺は、寛永18年(1641)上野寛永寺派衆徒吉祥院が開基、霊山院亮海法子全海が中興したといい、慶安2年(1649)には徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領したといいます。当初平井川べりに近い屋城(ヤシロ)にあったものの、いつの頃か当地へ移転、明治期には二宮小学校の校舎として使用されていたといいます。

玉泉寺
玉泉寺の概要
山号 鷲峰山
院号 不動院
寺号 玉泉寺
住所 あきる野市二宮2265
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



玉泉寺の縁起

玉泉寺は、寛永18年(1641)上野寛永寺派衆徒吉祥院が開基、霊山院亮海法子全海が中興したといい、慶安2年(1649)には徳川家光より寺領20石の御朱印状を拝領したといいます。当初平井川べりに近い屋城(ヤシロ)にあったものの、いつの頃か当地へ移転、明治期には二宮小学校の校舎として使用されていたといいます。

新編武蔵風土記稿による玉泉寺の縁起

(小川村)玉泉寺
村の南の方にあり、天台宗、高月村圓通寺の末、鷲峰山と號す、開山開基詳ならず、本尊彌陀坐像にして、長二尺許、客殿九間に六間、東向、村内にて御朱印二十石の地を賜ふ。
護摩堂。二間四方。(新編武蔵風土記稿より)

「秋川市史」による玉泉寺の縁起

山号は鷲峰山といい、もとは八王子市高月の圓通寺末であった。天台宗延暦寺派に属している。
『新編武蔵風土記稿』には、「開山開基詳ならず」とあるが、『玉泉寺縁起』によると寛永十八年(一六四一)上野寛永寺派衆徒吉祥院が開基、霊山院亮海法子全海が中興したと伝えている。
最初は平井川べりに近い屋城(ヤシロ)にあったという。鐘楼に天保四年(一八三三)と記された棟札が残されているが、それ以前に現在地に移されたといわれる。本堂は屋城に建てられていたものを移築したもので、内部には当時の柱や欄間などが残されている。
慶安二年(一六四九)三代将軍家光より二〇石の朱印地を賜わった。当時としては高い方の石高である。
玉泉寺は「お十夜」の寺として近隣に知られている。お十夜とは陰暦十月六日から十五日にかけての十昼夜のあいだ修される念仏をいう。十夜念仏ともいわれ、玉泉寺では元禄年間から約三百年近く伝えられてきたものである。本来浄土宗の法要であるが、玉泉寺は、本尊が阿弥陀如来なので、お十夜が行われてきたのであろう。十月十五日に行われている。
秋川や五日市、桧原地方にかけて「お十夜講」という講があって、お十夜の日にはたくさんのなくなった人々の霊を弔うお札が寺に納められている。
本堂には明治初年に成田山より遷座されたと伝える木像不動明王坐像がまつられている。脇侍の矜羯羅童子、制吒迦童子ともに優品である。
また本寺は、東秋留小学校の前身である二宮小学校として、明治六年(一八七三)から同二十四年(一八九一)まで、校舎として使用されていた。(「秋川市史」より)


玉泉寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「秋川市史」