天嶽院|細井平洲墓、台東区西浅草にある浄土宗の寺院
天嶽院の概要
| 山号 | - |
|---|---|
| 院号 | 天嶽院 |
| 寺号 | - |
| 住所 | 台東区西浅草3-14-1 |
| 宗派 | 浄土宗 |
| 葬儀・墓地 | 檀家の方は葬儀利用可能 |
| 備考 | - |
天嶽院にある文化財
- 銅造阿弥陀如来坐像(台東区登載文化財)
- 細井平洲墓(東京都指定旧跡)
細井平洲墓
江戸時代中期折衷学派の儒学者。享保13年(1728)尾張国知多郡に生まれた。名は徳民。通称甚三郎。延享年間に名古屋に出て、中西談淵に学び、やがて江戸に出て芝三島町(港区芝大門1丁目)に談淵とともに業柱社をおこした。出羽米沢藩主上杉鷹山に招かれて藩校興譲館の教学振興に努め、藩政改革の教学面を指揮して、改革理念の普及、家臣団の統制に大きな役割をはたした。また、天明3年(1783)には、尾張名古屋藩に招かれて藩校明倫堂の督学兼継述館総裁となり、民衆強化に努めた。享和元年(1801)6月29日江戸尾張藩邸で没した。著書に「平洲小語」「詩経夷考」などがある。(東京都教育委員会より)
銅造阿弥陀如来坐像
本像は、天嶽院墓地の最奥に安置されています。像高129.4cm。ふっくらとした顔貌に、均整のとれた体躯で、両手は法界定印という印相を結び、結跏趺坐の形をとります。像背面の銘文によると、延宝8年(1680)に太田久兵衛正儀という鋳物師が、当寺第5世住職の聞徹の依頼で制作したことが分かります。ただし、銘文にある日付は聞徹の死去した日であることから、聞徹の遺言により、その死後まもなく造立にかかり、その命日を刻んだものと思われます。
太田久兵衛正儀は神田鍋町(現、千代田区鍛冶町2・3丁目)に住み、現存する遺品として、他に和歌山県高野山奥之院の寛文6年(1666)銘の地蔵菩薩像を製作しています。なお、宝永5年(1708)に江戸六地蔵を鋳造したことで著名な「太田駿河正儀」は、久兵衛正儀の孫と思われます。
本像は制作が優秀である上、制作者・年代が明らかで、江戸時代の鋳造彫刻を考える際の重要な資料です。加えて、天嶽院住職の依頼による鋳造であり、当寺の歴史をも教えてくれます。
天嶽院の周辺図
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天嶽院山門