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下谷感應寺|台東区下谷にある法華宗本門流寺院

下谷感應寺の概要

法華宗本門流の感應寺は、宝塔山と号します。感應寺は、日純(元和6年1620年寂)が開山となり小田原に創建、その後蔵前西福寺寺地への移転へ経て、当地へ移転したといいます。

下谷感應寺
下谷感應寺の概要
山号 宝塔山
院号 -
寺号 感應寺
住所 台東区下谷2-8-3
宗派 法華宗本門流
葬儀・墓地 -
備考 下谷七福神の毘沙門天



下谷感應寺の縁起

下谷感應寺は、日純(元和6年1620年寂)が開山となり小田原に創建、元和6年(1620)蔵前西福寺寺地への移転へ経て、寛永11年(1634)下谷に、慶安3年(1650)当地へ移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による下谷感應寺の縁起

(坂本村)感應寺
同末(法華宗駿河国岡之宮光長寺末)宝塔山と号す。本尊三寶を安す。開山日純元和6年9月8日化す。当寺初は相州小田原に起立せしが、同年今の浅草西福寺の寺地に移り、寛永11年再下谷に移しか、又其地を小泉源右衛門拝領せしかは、慶安3年此に転せしと云。境内に番神堂、大黒堂ありしか回祿に逢し後未再建に及ばず。大黒は傳教大師の作也。(新編武蔵風土記稿より)


下谷感應寺所蔵の文化財

  • 木造大黒天立像

木造大黒天立像

大黒天はシバ神の化身として戦闘を司る神で元々形相は忿怒相でした。一方、インドでは寺院の台所に食べ物の神として祀られたといい、その風潮が日本にも伝わりました。鎌倉時代後半から次第に福の神としての性格を強めていき、やがて神仏習合思想によって大国主神と同一視されて庶民の信仰を集めました。その像の形は、右手に小槌を握り、大黒頭巾をかぶり、米俵の上に立つ温和な顔の短身の像が多く制作されるようになりました。
本像も、他の像と同じく、大黒頭巾・大きな袋・小槌を装備し、極端に背丈が小さく、プロポーションは三頭身です。大きく開いた口から舌がのぞき、両頬にえくぼを浮かべた 満面の笑みをたたえており、全体的にかわいらしい印象がします。像の高さは約56cm。ヒノキ材で作られ、漆箔を施し、玉眼が嵌め込まれています。台座は、蓮の葉をあらわす荷葉座と俵形をした台座で構成されています。
本像は、荷葉座裏や俵の天板の裏面に墨で書かれた銘文によると、元禄3年(1690)3月、馬喰町2丁目(現、中央区日本橋馬喰町)法橋大仏師兵部なる人物の手により制作されたと知られます。また奉納者は、当寺7世の住職「法華院日幸」で、「感應寺過去帳」に「大黒天謹彫奉祀」と記される人物です。 当寺は、法華宗(本門流)で、明治時代の文献「東京案内」によると、はじめ相模国小田原の地にありましたが、元和6年(1620)浅草へ移り、寛永11年(1634)下谷に、慶安3年(1650)現在地に移ったといいます。
平成2年に漆箔を塗り直し、現在は本堂脇の厨子内に安置されています。


下谷感應寺の周辺図


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