龍泉寺|台東区竜泉にある真言宗智山派寺院

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東光山龍泉寺|当地名由来ともなった名刹、荒川辺八十八ヶ所

龍泉寺の概要

真言宗智山派寺院の龍泉寺は、東光山等印院龍泉寺と号します。龍泉寺の創建年代は不詳ですが、当地名(龍泉寺町)の由来ともなった名刹で、法印深盛(天正19年1591年寂)が中興したといいます。千束稲荷神社の別当を勤めていた他、荒川辺八十八ヶ所霊場3番、御府内二十一ヶ所霊場13番札所ともなっています。

龍泉寺
龍泉寺の概要
山号 東光山
院号 等印院
寺号 龍泉寺
住所 台東区竜泉2-17-15
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 荒川辺八十八ヶ所霊場3番札所



龍泉寺の縁起

龍泉寺の創建年代は不詳ですが、当地名(龍泉寺町)の由来ともなった名刹で、法印深盛(天正19年1591年寂)が中興したといいます。

「下谷區史」による龍泉寺の縁起

龍泉寺(龍泉寺町四〇一番地)
京都智積院末、東光山等印院と號す。本尊大日如来。(大正十二年九月焼失)その起立は詳かでないが、中興の法印深盛は天正十九年二月八日に寂したといへば相應の古寺である。町名(もと村名)もこの寺名によつて起り、古くは當寺の寺領であつたが、家康の關東入國以後幕府の領地となり、正保以後東叡山領となつた。維新前は千束稲荷社は當寺の持であつた。(「下谷區史」より)

御府内寺社備考による龍泉寺の縁起

大塚護国寺末 下谷龍泉寺町 
東光山等印院龍泉寺 境内御年貢地95坪御除地1015坪。起
立相知不申候。
中興法印深盛、天正19年2月8日寂。
本堂、本尊大日木像、遍照殿之額字。
千束稲荷神社2間4間、拝殿3間2間、稲荷社除地78坪。右社江頼朝公御心願あり。霊夢によって夢想の神薬を出す。人参五香湯といふ。諸病によし。末社疱瘡神。
以上甲乙書上。
当寺ハ此地第一の古跡なり。往古ハ新吉原等も此寺の領分なり。今以龍泉寺町といふあり。此所の千束稲荷神社も当寺の兼帯なり。(続江戸砂子)
当寺の開山詳ならす。もとより其時代を伝へす。されと、龍泉寺を以って地名とすれハ古き寺なること知るへし。古き武蔵国図にハ龍泉寺村と載たり。(江戸記聞)(御府内寺社備考より)


龍泉寺所蔵の文化財

  • 木造阿弥陀如来立像(台東区登載文化財)
  • 木造聖徳太子孝養像(台東区登載文化財)

龍泉寺の周辺図