厳念寺|台東区寿にある真宗大谷派の寺院
厳念寺の概要
真宗大谷派寺院の厳念寺は、證誠山成就院と号し、寛永20年に常陸から浅草鳥越村に寺を移し、厳念寺を定めたといわれたと言われています。
| 山号 | 證誠山 |
|---|---|
| 院号 | 成就院 |
| 寺号 | 厳念寺 |
| 住所 | 台東区寿1-11-2 |
| 宗派 | 真宗大谷派 |
| 葬儀・墓地 | 厳念寺で檀家以外の葬儀利用可能 |
| 備考 | - |
厳念寺の縁起
境内掲示による厳念寺の縁起
厳念寺は建長5年(1253)、武州足立郡槙村に真言宗の「證誠山成就院護念寺」として創建されました。開基は遊琳法印という僧侶でしたが、覚如上人の影響を受けて「覚了」という法名をいただき、浄土真宗に改宗しました。
戦乱の中でお寺は移動を重ね、やがて江戸時代初期になってから中興の僧侶・釋宗心によって江戸鳥越村に移り、「厳念寺」となりました。
その後、火事などで場所を変えながら文化13年(1817)年11月18日、浅草新堀端に「證誠山成就院厳念寺」としてお寺を構え、現在に至ります。(境内掲示より)
厳念寺資料による厳念寺の縁起
その昔「太平記」にも登場する戦国武将、楠木正成の末裔が戦いに敗れ常陸に移り、ここで仏門に入った。その後宗心上人が寛永20年に浅草鳥越村に寺を移し、厳念寺を定めたといわれる。
以後、江戸の大火のたびに松清町・清島町と転々し、文化3年に現在の地新堀に築いた。嘉永の頃の江戸得絵図には本堂が西面(現在は南面)し、寺域も広く、大銀杏があることから「新堀の銀杏寺」として親しまれてきた。
明治と関東大震災後の区画整理によって寺域の南と東の部分がきずられ、また戦災で焼失し多くの苦難をなめた。現在の建物は、昭和62年に厳念寺ホール、昭和63年には本堂・庫裡、平成9年3月には会館が相次いで檀信徒の懇志によって建立されたものである。
山号の「證誠」とはまことの言葉で真実を証明する。つまり、お念仏の心で仏道を歩む意味。「厳念」はお念仏で心身を飾るということである。
厳念寺の周辺図
大きな地図で見る


