唯念寺|台東区元浅草にある真宗高田派の寺院
唯念寺の概要
真宗高田派の唯念寺は、至心山触光院と号し、伊勢国専修寺末です。唯念寺は、天文15年に品川で草創しました。馬喰町への移転を経て、当地へ移転しました。塔頭の林柔寺(当寺は林昌軒)の住職の子(月光院)が、六代将軍家宣の側室となって阿喜与と称し、後の七代将軍家継を生んだことから、寺地拡張、御朱印領を頂戴しています。
元浅草称念寺、溜池の澄泉寺と共に真宗高田派本山専修寺の分院格で、林柔寺・願寿寺・南松寺の塔頭3ヶ寺を擁していました。
| 山号 | 至心山 |
|---|---|
| 院号 | 触光院 |
| 寺号 | 唯念寺 |
| 住所 | 台東区元浅草2-11-3 |
| 宗派 | 真宗高田派 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | - |
唯念寺の縁起
唯念寺は、天文15年に品川で草創しました。馬喰町への移転を経て、当地へ移転しました。塔頭の林柔寺(当寺は林昌軒)の住職の子(月光院)が、六代将軍家宣の側室となって阿喜与と称し、後の七代将軍家継を生んだことから、寺地拡張、御朱印領を頂戴しています。
伊勢国専修寺末 浅草新寺町 至心山触光院唯念寺、境内拝領地2927坪内門前町屋有。
御朱印寺領100石。
当寺者天文15年草創ニ而往古寺地品川ニ御座候処神君様御地割之節、馬喰町ニおいて易地拝領仕候。此坪数1775坪4合ニ御座候。明暦3年正月18日焼失仕、同年為屋敷替地代地浅草新寺町ニ而地面拝領仕候。即当地寺地ニ御座候。然ル処第6世清寿代、月光院様格別之御由緒御座候故、正徳4年境内狭小ニ付隣寺正定寺境内并西之方ニおいて成就院地面内少々為添地被地被下置候旨、同年9月3日森川出羽守殿御宅ニ而土井伊代守殿被仰渡候。以後総坪数2927坪余ニ相成申候。
開山長昌院浄因大僧都法印。俗性藤原姓也。本多氏ニ而慶長17年9月17日示寂。
中興6世覚成院清寿上人。(中略)
塔頭3ヶ寺。林柔寺、願寿寺、南松寺。(以上後府内寺社備考より)
唯念寺にある台東区登載文化財
- 木造阿弥陀如来立像
木造阿弥陀如来立像
唯念寺(真宗高田派)の本尊阿弥陀如来立像は像高98cm、正面を向き左足をやや前に出しています。
ヒノキ材を用い、割矧造という制作方法で造られたもので、頭部に群青、体・衣部には漆箔をほどこし、玉眼をはめ込んでいます。
阿弥陀如来は西方極楽浄土の教主とされる仏で、阿弥陀信仰は平安時代中期から貴賤を問わず広がったため、極楽への往生を願う人々により数多くの像や絵が造られました。とくに、鎌倉時代初期の仏師快慶が左足をやや前に出した来迎型の阿弥陀如来を造像すると、以後、この形が阿弥陀如来像の典型となりました。
本像も来迎型阿弥陀如来像のひとつです。作者は不明ですが、衣文の表現が写実性に富み、割矧造の正統的な技法で造られていることなどから、制作年代は鎌倉時代初期と推定されます。区内に現存する阿弥陀如来像の中では、きわめて古いもののひとつであり、貴重な遺品です。
唯念寺の周辺図
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