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浅草浅間神社|台東区浅草の神社

浅草浅間神社の概要

浅草浅間神社は、台東区浅草にある浅間神社です。浅草浅間神社は、元禄年間(一六八八-一七〇三)の創建といいます。江戸時代には別当寺浅草寺子院修善院により管理されていましたが、現在は浅草神社の兼務社となっています。

浅草浅間神社
浅草浅間神社の概要
社号 浅間神社
祭神 木造木花咲耶姫命
境内社 -
相殿 -
住所 台東区浅草5-3-2
祭日 富士山開き7月1日、植木市5・6月の最終土・日曜日
備考 -



浅草浅間神社の由緒

浅草浅間神社は、元禄年間(一六八八-一七〇三)の創建といいます。江戸時代には別当寺浅草寺子院修善院により管理されていましたが、現在は浅草神社の兼務社となっています。

台東区教育委員会掲示による浅草浅間神社の由緒

浅間神社は、富士山への信仰に基き勧請された神社で、神体として「木造木花咲耶姫命坐像」を安置する。
創建年代は不明だが、「浅草寺志」所収「寛文11年江戸絵図」に表記があり、江戸時代初期の寛文11年(1671)までには鎮座していたようである。現在の鎮座地は、約2mほどの高みを成しているが、中世から江戸初期にかけて、関東地方では人工の塚、あるいは自然の高みに浅間神社を勧請する習俗があったとされており、当神社の立地もそうした習俗に基くものと思われる。
江戸時代には浅草寺子院修善院の管理のもと、修験道による祭祀が行われ、江戸を代表する富士信仰の聖地として、各地の富士講講院たちの尊崇を集めた。明治維新後は浅草寺の管理を離れ、明治6年には浅草神社が社務を兼ねることとなり、現在に至っている。
本殿は、平成9・10年の改修工事によって外観のみ新たに漆喰塗がほどこされたが、内部には明治11年建築の土蔵造り本殿が遺されている。さらに、この改修工事に伴う所蔵品調査により、江戸時代以来の神像・祭祀用具・古文書などが大量に確認された。
これら、本殿・諸資料・境内地は、江戸時代以後の江戸・東京における富士信仰のありさまを知る上で貴重であり、平成11年3月、台東区有形民俗文化財に指定された。
祭礼は、毎年7月1日の「富士山開き」が著名で、また、5・6月の最終土・日曜日には植木市が開催されている。(台東区教育委員会掲示より)

東京都神社名鑑による浅草浅間神社の由緒

本殿より発見された棟札などから、元禄年間(一六八八-一七〇三)の創建とされる。当時この地に小さな丘があり、その丘が富士山に似ていたことから、そこへ浅間社を勧請し、それが当社のはじまりとされている。現在の境内地は富士塚の跡で、道路よりかなり高いところにあり、江戸末期の嘉永六年(一八五三)にできた江戸の地図に、当社は修善院の横に「富士別」として記されており、その寺によって管理されていたものと思われる。(東京都神社名鑑より)


浅草浅間神社所蔵の文化財

  • 浅草浅間神社本殿并びに諸料付境内地 (平成10年度指定)(台東区登載文化財)

浅草浅間神社本殿并びに諸料付境内地

浅間神社は富士山信仰にもとづく神社で、江戸時代は、富士講信者の活動拠点となりました。
浅草の浅間神社は、江戸初期の寛文11年(1671)までに当地に勧請されており、現在に至るまで、浅草や蔵前付近の人々の信仰をあつめてきました。
浅間神社には、192点に及ぶ資料群が現存し、建築物・礼拝対象物・祭祀用具等に分類できます。建築物のうち、本殿は土蔵造りで、明治11年の造営です(平成9・10年の改修工事で外観のみ新たに漆喰塗をほどこしています)。土蔵造りの神社は、江戸から明治時代には江戸・東京の各地にあったようですが、現在ではほとんど見ることができません。
礼拝対象物では、江戸初期制作の「木花咲耶姫命坐像」、慶応3年(1867)銘の「銅造猿倚像」、江戸末期と思われる「五行御身抜」(富士講の本尊)など、江戸時代のものが現存しています。さらに、祭祀用具では、富士山頂の様子を描いた安政5年(1858)銘「富士山絶頂図」、明治時代奉納の「鏡・鏡台」や、富士講の幟旗である「マネキ」等があります。
また、境内地は盛土となっていますが、江戸初期までの浅間神社は、こうした盛土上に勧請する場合が多かったようで、江戸初期以前に勧請された浅間神社の景観をよく伝えています。
区内に現存する富士信仰・富士講に関する資料は希少で、浅間神社資料群はとても貴重です。


浅草浅間神社の周辺図


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