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法恩寺|江戸十祖師、墨田区太平にある日蓮宗寺院

法恩寺の概要

日蓮宗寺院の法恩寺は平河山と号します。法恩寺は、道灌公長禄2年(1458)江戸城築城にあたり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立、太田資高の代に法恩寺と改称したといいます。徳川家康の江戸入府により、神田柳原、谷中清水町にと移され、元禄8年当地へ移転したといいます。境内には、大田道灌の墓や平河清水稲荷大明神、鐘楼三重塔などがあります。現住所の太平は、太田道灌と平河山法恩寺の頭文字から名づけられています。江戸時代には、谷中宗林寺、浅草幸龍寺とともに京本国寺末触頭を勤め塔中二十ヵ寺、末寺十一ヵ寺を擁していました。参道沿いにある、法泉院陽運院千栄院善行院は当寺の子院です。

法恩寺
法恩寺の概要
山号 平河山
院号 -
寺号 法恩寺
住所 墨田区太平1-26-16
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 墓苑募集中、江戸十祖師、江戸触頭



法恩寺の縁起

法恩寺は、道灌公長禄2年(1458)江戸城築城にあたり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立、太田資高の代に法恩寺と改称したといいます。徳川家康の江戸入府により、神田柳原、谷中清水町にと移され、元禄8年当地へ移転したといいます。

境内掲示による法恩寺の縁起

開山は本住院日住上人、開基は太田道灌公である。道灌公長禄2年(1458)江戸城築城にあたり丑寅の方に城内鎮護の祈願所として本住院を建立、次いで資康、資高城主となり資高の代、本住院を法恩寺と改称したのである。山号を平河山と称するのは、当時この付近を平河村と称したものである。当山には秀吉家康共に小憩され又、朱印地も与えられた。家康江戸城に入り、城内拡大に当たって当山は神田柳原、谷中清水町にと移され、元禄8年現在の地に移されたのである。当時塔中二十ヵ寺、末寺十一ヵ寺、関東の触頭として威勢を誇った。当地を太平町と称するのは開基太田道灌公の太と山号平河山の頭文字をとって名付けられた。当山は関東大震災、昭和20年3月の戦災に遭遇するも檀信徒並地元の外護により再建され昭和29年10月現在の本堂落成をみたのである。経石塔(三重塔)は昭和7年650年遠忌記念として建立、天平風鉄筋造当時新様式鐘楼として名高いものである。(境内掲示より)


法恩寺所蔵の文化財

  • 太田道灌家供養塔(墨田区登録文化財)
  • 貞享2年銘水鉢
  • 天保12年銘無縁塔
  • 地震圧死火難水難剣難横死精霊供養塔
  • 水間沾徳の墓

太田道灌家供養塔

この供養塔は、法恩寺墓地の中央奥に石組で囲まれた歴代住職の供養塔と並び、一段高く安置されています。 五輪塔形式で各輪に妙法蓮華経の文字、地輪正面に道灌と父・資清の戒名、両側面に道灌以降五代の当主の戒名、裏面にはそれぞれの没年月日が刻まれていますが、現在は肉眼で判読するのは困難です。
総高は201センチメートルです。空輪と風輪は後補と思われ、火輪の軒が厚く水輪、地輪とほぼ同じ幅であることから17世紀後半の製作と考えられます。
法恩寺は、太田道灌が江戸平河に創建した寺院で、当時は本住院と号しましたが、大永4年(1524年)に平河山法恩寺と寺号を改めました。後、元禄元年(1688年)に本所の現在地に寺地が定まりました。
『新撰東京名所図絵』(明治40年)には、寺僧が記念のために、この供養塔を建てたことが記されています。

法恩寺のもと末寺


法恩寺の塔頭


法恩寺の周辺図


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