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桃青寺|墨田区東駒形にある臨済宗妙心寺派寺院

桃青寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の桃青寺は、芭蕉山と号します。桃青寺は、黙宗和尚が法光明幢禅師を開山として寛永3年(1626)に創建したといいます。松尾芭蕉は数年にわたり、当寺に寄宿していたことから、山号は松尾芭蕉より、寺号は松尾芭蕉の俳号桃青より芭蕉山桃青寺と号しているといいます。松尾芭蕉は数年にわたり、当寺に寄宿していたようで、江戸時代には寺内にあった芭蕉堂で著名でした。また貞享4年(1687)に生まれ、俳壇の革新に尽力した俳人長谷川馬光の墓があります

桃青寺
桃青寺の概要
山号 芭蕉山
院号 -
寺号 桃青寺
住所 墨田区東駒形3-15-10
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



桃青寺の縁起

桃青寺は、黙宗和尚が法光明幢禅師を開山として寛永3年(1626)に創建したといいます。松尾芭蕉は数年にわたり、当寺に寄宿していたことから、山号は松尾芭蕉より、寺号は松尾芭蕉の俳号桃青より芭蕉山桃青寺と号しているといいます。

「本所區史」による桃青寺の縁起

東盛寺(桃青寺)
東盛寺は中之郷原庭町三十五番地に在り芭蕉山と號し臨済宗である。堂中に安置してあつた松尾芭蕉翁の木像は、其の高弟小川破笠が晩年の作であつて高さ八寸五分あり、之と相列して西行法師、山口素堂の像があつた、地名辭書に「原庭町の東盛寺は、寺傳に寛文中黙宗禅師の建立にて定林寺といへりと。然れども延寶、元禄の諸圖に見えず。疑ふべし。寛保の頃俳諧を學ぶの徒定林寺に芭蕉堂を置き寺號をも桃青寺と改め後ち寶暦中中興して東盛寺と改む。此東盛寺芭蕉堂のことにつきて松浦侯の甲子夜話に一説あれども、皆信ずべからず云々。」とある。(「本所區史」より)

「東京名所図会」による桃青寺の縁起

東盛寺
東盛寺は。中之郷原庭町三十五番地に在り。芭蕉山と號し。臨済宗たり。堂中に安置せる松尾桃青翁の木像は。其の高弟小川破笠が晩年の作にして。高さ八寸五分あり。此と相列して西行法師、山口素藤の像あり。
地名辞書に云。原庭町の東盛寺は。寺傳に寛文中黙宗禅師の建立にて。定林寺といへりと。然れども延寶、元禄の諸圖に見えず。疑ふべし。寛保の比俳諧を學ぶの徒。定林寺に芭蕉堂を置き。寺號をも桃青と改め。後ち寶暦中中興して東盛寺と改む。此東盛寺芭蕉堂のことにつきて。松浦侯の甲子夜話に一説あれども。皆信ずべからず。(東京名所図会より)

「すみだの史跡文化財めぐり」による桃青寺の縁起

臨済宗妙心寺末で、寛永3年(1626)の創建です。開山は法光明幢禅師、二世は黙宗和尚とされていますが、事実は黙宗和尚の創建で、後に師の明幢禅師を招いて開山としたものと言われています。
江戸時代には寺内の芭蕉堂によって著名な寺院でした。はじめ定林院と号していたのを延享2年(1745)に芭蕉山桃青寺と変えたのも松尾芭蕉の俳号桃青の二字によったもので、芭蕉は当寺に寄宿すること数年に及んだといい、その時期については定かではありませんが、芭蕉が出府したころであろうと考えられます。なお、宝暦2年(1752)6月、さらに白牛山東盛寺と改めましたが、明治25年6月に再び芭蕉山桃青寺にかえり、現在に及んでいます。(すみだの史跡文化財めぐりより)


桃青寺所蔵の文化財

  • 長谷川馬光の墓

桃青寺の周辺図


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