遍照院|墨田区吾妻橋にある真言宗智山派寺院

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鶴田山遍照院|文久2年(1862)大師堂として建立

遍照院の概要

真言宗智山派寺院の遍照院は、鶴田山真念寺と号します。遍照院は、板下諦念(俗稱内畑蔵)が文久2年(1862)当地に大師堂を建立して創建、明治16年に山号寺号の許可を得たといいます。隅田川二十一ヵ所霊場6番札所です。

遍照院
遍照院の概要
山号 鶴田山
院号 遍照院
寺号 真念寺
住所 墨田区吾妻橋1-3-7
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



遍照院の縁起

遍照院は、板下諦念(俗稱内畑蔵)が文久2年(1862)当地に大師堂を建立して創建、明治16年に山号寺号の許可を得たといいます。

「本所區史」による遍照院の縁起

遍照院は中之郷竹町十二番地に在り真言宗にして鶴田山と號し眞念寺と稱す。
當寺に於て「弘法様の御灸」と稱し僧侶が灸點をなし甚だ繁昌して居る。今其の由来を聞くに、先代の住職坂下諦念(俗稱内畑蔵)は青年時代品行修まらなかつたが、中年に至り一念發起して高野山に登り難行苦行の結果信心堅固の僧侶と爲り、文久二年現地に来て大師堂を建立し嘗て弘法大師より夢想に授つたと云ふ灸を施したのが始めで、漸次其の名高くなり明治三年の火災後同六年に堂宇を再建し同十六年九月に總本山京都救王護國寺末に加へられて山號寺稱を許されたが、此の諦念は同二十年に寂し松下啓念が代って住職となった。灸點に来る患者は胃病、神経痛、痰、肩の凝など大部分にて毎年四五月の頃は最も繁昌し一日平均一千人を下らず平日も七百人は来るといふ。(「本所區史」より)

「東京名所図会」による遍照院の縁起

遍照院
遍照院は中之郷竹町十二番地に在り。真言宗にして鶴田山と號し。真念寺と稱す。 當寺に於て「弘法様のお灸」と稱し。僧侶灸點を爲し。甚だ繁昌せり。今其の由来を聞くに。先代の住職板下諦念(俗稱内畑蔵)は青年時代品行修らざりしが。中年に至り。一念發起して高野山に登り。難行苦行の結果信心堅固の僧侶と爲り文久二年現地に至りて大師堂を建立し。嘗て弘法大師より夢想に授りしといふ灸を施せしが。始めにて漸次其の名高くなり。明治三年の火災後。同六年に現今の堂宇を再建し。同十六年九月に總本山京都教王護国寺末に加へられ。山號寺稱を許されしが。此の諦念は同二十年に寂し。目下松下啓念代りて住職たり。灸點に来る患者は胃病、喘息、神経痛、痰、肩の凝など大部分にて。毎年四五月の頃は最も繁昌し。一日平均一千人を下らず。平日も七百人は来るといふ。其の時間は午前七時より午後四時までにて。先づ門内の鋤柄といふ茶屋に就きて番號札を受取り。順次に呼込れて本堂右手の方に行けば。僧侶と一人の老人ありて一應其の容體を聞き。肩若くば背に點印し。左の方に至り列座して灸し。後ち薬膏を貼す灸は無料にて。唯本尊に賽銭を上げ。一貼二銭の赤膏を適宜に買ふに過ぎず。甚だ軽易なるもの故。かかる繁昌を来せるなり。(東京名所図会より)


遍照院の周辺図