隅田川神社|墨田区堤通の神社、隅田川の総鎮守
隅田川神社の概要
隅田川神社は、隅田川の総鎮守で水神社と呼ばれていました。源頼朝が平氏打倒の挙兵に際して、下総から武蔵に入るとき、仮設の船橋をかけて隅田川をわたり、そのおりに水神の霊に感じて社殿を造営したと伝えられています。社殿前には狛犬のかわりに石亀がおかれています。
| 社号 | 隅田川神社 |
|---|---|
| 祭神 | 速秋津日子神、速秋津比賣神、鳥之石楠船神、大楫木戸姫神、御井鳴雷神 |
| 境内社 | 粟島神社、金神社、天神社、若宮八幡神社、三財稲荷神社 |
| 住所 | 墨田区堤通2-17-1 |
| 祭日 | 例祭日6月15日 |
| 備考 | 隅田村総鎮守、旧別当寺:多聞寺 |
隅田川神社の由緒
隅田川神社は、もと水神社と呼ばれ微高地に鎮座した交通の要衝でした。社伝によると源頼朝挙兵の折の、治承4年(1180)当地に到り、水神の霊験に感じて社殿を造営したと伝えられます。
すみだの史跡文化財めぐりによる隅田川神社の由緒
「水神社」と呼ばれかっては樹木が繁茂し、水神の森とも称された微高地でした。また隅田川の増水にあっても沈むことがなく「浮島」の名もありました。昔から、河川交通の要衝(往古の街道筋・近世の渡場)であり、海運・運送業者の尊崇を集めていました。現在は、首都高速道路と防災拠点建設事業のために、昔の面影はなく、社地も旧地の南100mの地に移転しています。
祭神は速秋津比古のほか三神を主神としています。また社伝によると、源頼朝挙兵の折の、治承4年(1180)この地に到り、水神の霊験に感じて社殿を造営したともいいます。現在の社殿は幕末(1858・1864)の二度の建設によるものです。
また、維新時には社掌矢掛弓雄が出て、大いに社運を盛り上げた模様で、彼の手になる歌碑、記念碑が多数残っています。
なお、同社には「徳治」(1306-1308)銘、「永正14年」(1517)銘など、合わせて三基の板碑の所蔵が判明しておりますが、諸事情によって実見することはできません。(すみだの史跡文化財めぐりより)
墨田区教育委員会掲示による隅田川神社の由緒
水神の森跡
荒川の下流、鐘ヶ淵を越え大きく曲がったこの地は、隅田川の落ち口(終点)で、かつては鬱蒼とした森が広がっていました。人々からは水神の森とも浮洲の森とも呼ばれて親しまれていました。
昔、ここから入江が始まり、海となっていたことから「江の口」、すなわち「江戸」の語源ともなったといわれています。
水神の森は「江戸名所図会」にも描写されているとおり、川岸にあった水神社(隅田川神社)の鎮守の森でした。川を下ってきた人々は隅田川の入口の森として、川をさがのぼる人々にとっては鐘ヶ淵の難所が近いことを知らせる森として、格好の目印となっていました。
その後、震災・戦災にも焼失を免れた森は戦後の開発で失われてしまい、隅田川神社自体も百メートルほど移されて現在地に鎮座しました。(平成19年3月 墨田区教育委員会)
隅田川神社の周辺図
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隅田川神社鳥居
隅田川神社鳥居
隅田川神社お百度参石
隅田川神神楽殿
隅田川神社境内
隅田川神社拝殿の龍
隅田川神社境内社1
隅田川神社境内社2
隅田川神社境内社3
鶴力
水神宮