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榛稲荷神社|墨田区両国の神社、榛馬場跡、葛飾北斎・勝海舟居住の地

榛稲荷神社の概要

榛稲荷神社は、墨田区両国にある稲荷神社です。榛稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代当地周辺には榛馬場と呼ばれた武術練習場があり、練習場の土手に榛の木が植えてあり、この榛の木の傍に祀られて榛稲荷神社と呼ばれていたといいます。また江戸時代には、当地周辺に葛飾北斎や勝海舟など多くの著名人が居を構えていました。

榛稲荷神社本殿
榛稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂大神
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 墨田区両国4-34-11
備考 -



榛稲荷神社の由緒

榛稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代当地周辺には榛馬場と呼ばれた武術練習場があり、練習場の土手に榛の木が植えてあり、この榛の木の傍に祀られて榛稲荷神社と呼ばれていたといいます。

境内石碑による榛稲荷神社の由緒

古く此の地一帯を榛馬場と称し此神祠を榛稲荷社と称し奉れり。関東大震災の折り社殿並に其の榛樹炎上焼失す。神殿復興起工際旧蹟地より古碑を発掘す。
碑文 和銅2年総国当亀澤村
亀澤稲荷神社
とあり、往昔斯く奉称せしも後成は榛稲荷神社と称し奉□□□□。
大東亜戦争必勝を祈願し奉り東京の実現を紀念すると共に其の事由を後世に傳へむと敬神講員一同相議之れを建つ。(境内石碑より)

東京都神社名鑑による榛稲荷神社の由緒

本所に居住する武士の稽古のための馬場に大きな榛の木があり、その馬場を榛の木馬場といった。その傍に稲荷社があり榛の木稲荷といった。本所道役清水八郎拝領の町屋敷内に借住居していた白川殿下神職梅本大和という者が社守をしていたことが『本所村史』に記されている。大正十二年の大震災に社殿および榛の木は焼失したが、社宝類は類焼をまぬかれた。(東京都神社名鑑より)


榛稲荷神社の周辺について

葛飾北斎住居跡

この辺りには、江戸時代に武士が馬術を訓練するための馬場が設けられていました。東西約185m、南北約22mの広さがあり、馬場を囲む土手に大きな榛があったので、「榛馬場」と呼ばれました。馬場に祀られていたのが「榛稲荷神社」です。
本所(現在の墨田区南部)に生まれた絵師葛飾北斎は、この稲荷神社のすぐ近くに住んでいたことがありました。北斎は90歳で没するまで常に新しい技法を試み、「富嶽三十六景」に代表される錦絵だけではなく、肉筆画も手がけ、数多くの作品を生み出しました。
榛馬場の辺りに住んでいた当時の様子を伝えるのが、「北斎仮宅写生」(露木為一筆)です。絵を描く老いた北斎と娘の阿栄が描かれています。阿栄も優れた絵師でした。その暮らしぶりを飯島虚心は、「蜜柑箱を少しく高く釘づけになして、中には、日蓮の像を安置せり。火鉢の傍には、佐倉炭の俵、土産物の桜餅の龍、鮓の竹の皮など、散ちらし、物置と掃溜と、一様なるが如し」(「葛飾北斎伝」)と記しています。北斎がこの地に暮らしたのは天保末年頃(1840年頃)で、80歳を越えていたと思われますが、絵を描くこと以外は気にも留めないような暮らしぶりが見てとれます。
北斎は生涯で90回以上も転居を繰り返したとされていますが、居所のすべてが正確にわかっているわけではありません。榛馬場の北斎住居跡は、ある程度場所の特定ができ、絵画資料も伴うものとして貴重な例です。
また、幕末明治期に活躍した政治家勝海舟もこの近くで生まれ育ちました。海舟の父、勝小吉の自伝「夢酔独言」の中にも、榛稲荷神社についての思い出が記されています。(墨田区教育委員会掲示より)

榛馬場跡

この辺りには、榛馬場と呼ばれた馬場がありました。本所に住む武士の弓馬の稽古のために設けられ、周りを囲む土手に大きな榛(カバノキ科の落葉高木)があったところから、そう呼ばれたようです。
勝海舟の父小吉の著書「夢酔独言」の中にも、子どものころの回想として、榛馬場のことが出ています。馬場の傍らに祀られていたのが、この榛稲荷神社です。
天保8年(1837)に亀沢町の若者が奉納した木造朱塗の奉紙立が、震災、戦災を逃れて今でも保存されています。葛飾北斎も稲荷神社脇に住んでいたことがあります。(ぶらり両国街かど展実行委員会掲示より)

榛稲荷神社の周辺図


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