慶安寺|杉並区梅里にある曹洞宗の寺院
慶安寺の概要
曹洞宗寺院の慶安寺は、月高山と号し、寛永4年(1627)江戸下谷池ノ端七軒町に白泉寺5世高山全得を開山とし、然通堯廓を開基として創建しました。当時は、上野山の紅葉が映える絶景の場所にあり紅葉山と称され、また秋葉権現への参詣者が多かったことから秋葉寺とも称されていました。大正2年当地へ移転、境内には前野良沢の墓があります。
| 山号 | 月高山 |
|---|---|
| 院号 | - |
| 寺号 | 慶安寺 |
| 住所 | 杉並区梅里1-4-24 |
| 本尊 | 木造釈迦如来坐像 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | - |
慶安寺の縁起
慶安寺は、寛永4年(1627)江戸下谷池ノ端七軒町に白泉寺5世高山全得を開山とし、然通堯廓を開基として創建しました。当時は、上野山の紅葉が映える絶景の場所にあり紅葉山と称され、また秋葉権現への参詣者が多かったことから秋葉寺とも称されていました。大正2年当地へ移転、境内には前野良沢の墓があります。
杉並区教育委員会掲示による慶安寺の縁起
当寺は、月高山と号する曹洞宗の寺院で、本尊は昭和41年に開眼した転法輪の釈迦如来です。
「御府内備考続編」によれば、寛永4年(1627)江戸下谷池ノ端七軒町に高山全得(本寺・白泉寺5世)を開山とし、然通堯廓を開基として開創されました。
当寺には、大名旗本が多く帰依し、殊に江戸初期の老中阿部豊後守忠秋は、当初の本尊虚空蔵菩薩や秋葉権現を寄進するなど、信仰が厚く、その後も阿部家による信心は明治維新まで続いたといわれています。
その秋葉権現は、霊験あらたかなことから、人々は当寺を秋葉寺と呼び、参詣人が多いことから秋葉横丁ともいわれました。また、上野山の紅葉が不忍池に映える絶景な場所にあったことから紅葉寺とも称されました。
しかし、池ノ端の地は湿気が多く、伽藍の腐食も激しく、又墓地にも適さなかったことから、大正2年現在地に移転してきました。
昭和20年5月25日、戦火を蒙り、伽藍は全焼し、古記録・什宝も烏有に帰しましたが、昭和41年に近代的な伽藍が復興されました。
墓地には、杉田玄白と共に「解体新書」を訳した江戸の蘭学者・前野良沢の墓があります。
なお、かつては良沢の遺品なども伝わっていましたが、戦災により残念ながら焼失してしまいました。
その他に文化財としては、寛保2年(1742)銘地蔵石像などがあります。(杉並区教育委員会)
杉並の寺院による慶安寺の縁起
池ノ端にあった当寺は、不忍池に映える上野山の紅葉を見るに絶好であったことから、紅葉寺と通称されたという。その頃、境内の秋葉社は参詣者多く、当時門前は秋葉横丁といわれた。
また開創当時、老中阿部豊後守忠秋(延宝3年1675没)が当寺本尊(開創時の本尊は虚空蔵菩薩)に深く帰依し、保護を与えたと伝える。(杉並の寺院より)
慶安寺にある杉並区登録文化財
- 前野良沢墓(解体新書訳者、享和3年1803没)
慶安寺の周辺図
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慶安寺山門


