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吉祥院|杉並区高井戸西にある天台宗寺院

吉祥院の概要

天台宗寺院の吉祥院は、象頭山と号します。吉祥院は、成田山不動尊を深く信仰した上高井戸の住人並木卓善が、明治8年成田山新省講を結成、さらに寺院を創立しようとしたものの、寺院新築禁止中であり、二世晃恭が谷中の天台宗象頭山遍照寺吉祥院住職となり、明治16年当地に移転させたといいます。

吉祥院
吉祥院の概要
山号 象頭山
院号 -
寺号 吉祥院
住所 杉並区高井戸西1-5-44
本尊 千手観音像
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



吉祥院の縁起

吉祥院は、成田山不動尊を深く信仰した上高井戸の住人並木卓善が、明治8年成田山新省講を結成、さらに寺院を創立しようとしたものの、寺院新築禁止中であり、二世晃恭が谷中の天台宗象頭山遍照寺吉祥院住職となり、明治16年当地に移転させたといいます。

杉並区教育委員会掲示による吉祥院の縁起

当院は象頭山遍照寺と号する天台宗の寺院で、本尊は不動明王坐像です。中興開山は上高井戸村の並木卓善で、明治十六年(一八八三)に開創されました。
並木卓善は成田山不動尊を信仰し、明治八年に成田山新省講を結成、さらに講中の寺院を創設しようと図りました。しかし、当時は寺院の新設は禁止されていたため、谷中(現台東区)の吉祥院(江戸初期に霊岸島に開創され、のち谷中に移転、寛政年間に松平定信の崇信を受け大寺席となったと伝えられます)の住職に二世晃恭が就任し、当地に移転するという形で、明治十六年に開かれたのが当院のはじまりです。
当院は、新省講の祈願寺として信徒の信仰を集めました。大正五年(一九一六)に刊行された「東京府豊多摩郡誌」では、そうした当院の様子を「毎月廿八日寳客多し、殊に節分会及二月十五日は信徒の詣づるもの頗る多く境内立つ錐の地なし」と伝えており、今日でも東京西北部一帯の人々に広く信仰されています。
現在の本堂は文化三年(一八〇六)の建築で、開創の年に移築したものです。また、境内の諸石像を配置した築山は、成田山を模して造られたものといわれています。なお、当院は信徒から寄進された多くの記念石碑のほか、江戸時代につくられた大日如来像、阿弥陀如来像、地蔵菩薩像などの仏像も所蔵しています。(杉並区教育委員会掲示より)

御府内寺社備考による吉祥院の縁起

東叡山末 谷中不唱小名
象頭山遍照寺吉祥院、境内感応寺借地三百五十坪
当院之儀は、往古霊岸島大河端町ニ罷在候而則凪羽国羽黒山末派二御座候処、中古明和二乙酉年十二月、現住芳寛代東叡山御直末二相成申候。寛政二庚申年七月、寺社御奉行所松平右京亮様御役中ニ而御聞済之上、谷中感応寺境内ニ致引寺申候。
中興芳寛明和四亥十二月十三日遷化。
本堂、間口五間半奥行三間半
右ハ東叡山慈眼堂拝領仕候而建立
本尊大日、坐像丈一尺八寸雲慶作。
大聖歓喜天。大聖不動尊、坐像丈一尺八寸溝口出雲守寄附。
般若十六善神一幅、溝口出雲守筆。大聖不動尊、立像丈一尺八寸弘法大師作。
渡海稲荷明神社。右ハ往古御城閑船乗来候よしニ而渡海稲荷と称し候。
以上丙戌書上(御府内寺社備考より)

「杉並の寺院」による吉祥院の縁起

成田山不動尊を深く信仰した上高井戸の住人並木卓善が、明治八年成田山新省講を結成、さらに講中の寺を創立せんとしたが、当時は寺院新築禁止中であり、二世晃恭が谷中の天台宗象頭山遍照寺吉祥院住職となり、明治一六年に移したのが当寺の開創である。
「続備考」によると、象頭山吉祥院は、時期は不詳であるが、霊岸島に開創され、明和二年羽黒山末を改めて寛永寺末となり、寛政二年に谷中感応寺境内に移転している。中興開山は芳寛(明和四年寂)、本尊は大日如来坐像で丈一尺八寸とあるが、これは前掲仏像の最初に載せた大日如来坐像が当たるようである。なお、本尊以外の仏像も全て象頭山からのものであろう。
現吉祥院境内には、成田山を模した築山があり、新省講中の参詣が多い。(「杉並の寺院」より)


吉祥院の周辺図


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