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宗泰院|杉並区高円寺南にある曹洞宗寺院

宗泰院の概要

曹洞宗寺院の宗泰院は、永昌山と号します。宗泰院は、天正12年(1584)嘯山春虎和尚が麹町表四番町(現千代田区四番町)草庵を結んで始まり、文禄2年(1593)に小田原万松院の格峰泰逸和尚を勧請して開山したといいます。明治42年当地へ移転しています。

宗泰院
宗泰院の概要
山号 永昌山
院号 宗泰院
寺号 -
住所 杉並区高円寺南2-31-5
本尊 木造釈迦如来坐像
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



宗泰院の縁起

宗泰院は、天正12年(1584)嘯山春虎和尚が麹町表四番町(現千代田区四番町)草庵を結んで始まり、文禄2年(1593)に小田原万松院の格峰泰逸和尚を勧請して開山したといいます。明治42年当地へ移転しています。

杉並区教育委員会掲示による宗泰院の縁起

当寺は山号を永昌山と号する曹洞宗の寺で、本尊は釈迦牟尼仏です。寺伝によれば、嘯山春虎和尚が天正12年(1584)、麹町表四番町(現千代田区四番町)に草庵を結んだのが始まりといわれています。開山は小田原万松院の格峰泰逸和尚で、文禄2年(1593)に、幕府から寺地の寄進を受けて、堂塔を整えました。
その後、元和2年(1616)に至り、寺地が旗本の屋敷地と定められたため、市ヶ谷左内坂に境内地を拝領して移転、寺院の取締りにあたる市ヶ谷組寺院触頭を命ぜられています。
当寺の檀家は旗本・御家人・尾張藩士などの武家350家とその出入商人などで、本堂・開山堂・客殿をはじめ、武家檀家参詣のための供待ち部屋・槍小屋・馬小屋など十六棟の伽藍を有する旗本寺として隆盛を誇ったといわれています。
明治維新の変動により当寺も一時、寺勢が衰えましたが明治20年代には復興し、明治42年、陸軍士官学校の校地拡張のため寺地を買収され、現在の地に移転しました。
宝暦7年(1757)建立の本堂、寛延3年(1750)建造の開山堂は、そのまま移築したもので、江戸中期建造の開運弁天堂(尾張藩主の持仏堂といわれる)とともに区内有数の古い建造物です。
なお、当寺には他に類をみない乳房を嬰児にふくませている木彫の「子授け地蔵尊」が安置されているほか、明治の俳人原月舟の句碑、幕末の名剣士すずきは無念流の始祖鈴木大学重明、相撲年寄松ヶ根・東関の墓などがあります。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並の寺院」による宗泰院の縁起

開山泰逸は勧請開山、実際の開山は二世の嘯山春虎(元和7年寂)である。
江戸期の当寺は、本堂・開山堂以下十六棟の堂塔が立ち並び、そのうちには槍小屋・馬小屋などもあったという。当寺の檀家に武士が多かったことを物語るものである。
なお、本堂・開山堂・開運弁財天堂は、市ヶ谷左内坂時代のものを移築しており、区内でも古い建築物に属する。(「杉並の寺院」より)

「牛込區史」による宗泰院の縁起

永昌山宗泰院、小田原万松院
初め嘯山春虎和尚が四番町に庵を結んで住してゐたが、文禄二年境内を拝領して寺となした。元和二年左内坂に移轉した。勧請開山格峯泰逸大和尚、慶長十二年六月廿八日寂。二世嘯山春虎和尚元和七年五月十五日寂。開基了山宗寮和尚、寛文元年二月廿二日寂。舊境内拝領地千百六十七坪。(「牛込區史」より)


宗泰院所蔵の文化財

  • 木造地蔵菩薩坐像(杉並区指定文化財)

宗泰院の周辺図


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