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長龍寺|杉並区高円寺南にある曹洞宗寺院

長龍寺の概要

曹洞宗寺院の長龍寺は、富聚山と号します。長龍寺は、文禄2年(1593)に心岩舜応和尚が麹町四番町に開創、元和2年(1616)市ヶ谷左内坂(新宿区市ヶ谷左内町)に移転したといいます。江戸時代は、開基である幕府御使盤河野氏をはじめ多くの旗本を檀家に持ち、長泰寺長昌寺、松雲寺(廃寺)の3ヶ寺を末寺に擁していたといいます。明治42年、当地に移転しています。

長龍寺
長龍寺の概要
山号 富聚山
院号 -
寺号 長龍寺
住所 杉並区高円寺南2-31-28
本尊 木造釈迦如来坐像
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 長龍寺会館
備考 -



長龍寺の縁起

長龍寺は、文禄2年(1593)に心岩舜応和尚が麹町四番町に開創、元和2年(1616)市ヶ谷左内坂(新宿区市ヶ谷左内町)に移転したといいます。江戸時代は、開基である幕府御使盤河野氏をはじめ多くの旗本を檀家に持ち、長泰寺長昌寺、松雲寺(廃寺)の3ヶ寺を末寺に擁していたといいます。明治42年、当地に移転しています。

杉並区教育委員会掲示による長龍寺の縁起

当寺は富聚山と号する曹洞宗の寺で、本尊は釈迦如来座像です。寺伝によれば文禄2年(1593)に心岩舜応和尚が麹町四番町に開創したといわれ、元和2年(1616)寺地が御用地となり、市ヶ谷左内坂(新宿区市ヶ谷左内町)に境内地を拝領して移転しています。
寺名の由来については、開山の玄室宗頓和尚が本寺である雲松院境内の池に住む竜に偈を授け、小蛇と化したのを捕えて当寺の寺宝とさせたのにちなんで、長隆寺の「隆」を「龍」に改めたと伝えられています。
江戸時代の当寺は、開基である幕府御使盤河野氏をはじめ、油川武田家を主体とした旧武田家臣団、ならびに徳川の名門松平十四家である滝脇松平家(世良田家)、朱鎗の名家長坂血鎗九郎家、応仁の乱には西軍の将として有名な「山名宗全」を生み出した山名家の本家、その他旗本・名家七十六家の菩提所で、代々の住職は朝廷より勅賜号を賜るなど、寺運は隆盛をきわめました。
明治42年、陸軍士官学校の拡張にともない、この地に移転しました。宝暦6年(1756)築造の本堂、元文2年(1737)建立の山門は、この時に移築したもので、古い建造物の面影をよく伝えています。
境内の地蔵堂には山手二十八番第11番札所として著名であった豆腐地蔵尊(宝永5年1708造立)が安置されています。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並の寺院」による長龍寺の縁起

寺伝および「新編武蔵」小机村雲松院の項によると、本寺雲松院境内の池に棲む竜に五世玄室宗頓が偈を授け、小蛇となったのを捕えて、開山した末寺である当寺に贈って寺宝とさせ、因んで寺名を長龍寺としたという。
当寺は、開基の幕府使番河野通泰をはじめ、長坂・山名・塚原・岡野・山本・森川等旗本を多く檀家に持ち、典型的な旗本寺であった。
地蔵堂の「豆腐地蔵」は、寛保頃、日暮になると貧乏僧に化身し、木の葉に変わる銭を持って左内坂下の豆腐屋に豆腐を買いに現れ、これを怪しんだ寺社奉行の役人に斬りつけられたという伝説がある。今もその時の刀の痕跡が残っているという。(「杉並の寺院」より)

「牛込區史」による長龍寺の縁起

富聚山長龍寺 武蔵小机雲松院
文禄二年麹町四番町に起立、勧請開山玄室室頓和尚、慶長十三年六月十二日遷化。二世山岩舜應和尚
慶長二年五月八日遷化。中興三世榮岩茂和尚、延寳七年二月十五日遷化。開基心叟英傳庵主、元和三年十一月五日卒。舊境内拝領地千八百八十坪餘、内門前町屋間口十二間四尺餘。(「牛込區史」より)


長龍寺所蔵の文化財

  • 豆腐地蔵(杉並区登録文化財)

豆腐地蔵

本像は、江戸時代中期の造立で、俗に豆腐地蔵と呼ばれています。像容は端正で容貌も整って美しく、衣紋などの彫りも丁寧で流麗に仕上げられています。豆腐地蔵の由来は、元文(一七二六〜四一)の頃、市ヶ谷左内坂下の豆腐屋に、地蔵が小僧に変化して豆腐を買いに来ましたが、木の葉の銭を使ったことから怪しまれ、寺社奉行輩下の清水兵吉という役人に斬りつけられたという伝説が、当寺の「長龍寺縁起」に記されています。本地蔵の右耳はその際斬られたものだと言われています。(杉並区教育委員会掲示より)

長龍寺の周辺図


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