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文殊院|杉並区和泉にある高野山真言宗寺院

文殊院の概要

高野山真言宗の文殊院は、遍照山高野寺と号し、慶長5年駿府に木食応其を勧請して勢誉師が開山しました。寛永4年浅草に、元禄9年に白金に移転し、高野山在番所行人方触頭を勤め、御府内八十八ヶ所霊場の打留札所となっていました。大正9年に区画整理により当地へ移転しました。

文殊院
文殊院の概要
山号 遍照山
院号 文殊院
寺号 高野寺
住所 杉並区和泉4-18-7
本尊 弘法大師坐像
宗派 高野山真言宗
葬儀・墓地 -
備考 御府内八十八ヶ所霊場88番札所、高野山在番所行人方触頭



文殊院の縁起

文殊院は、慶長5年駿府に木食応其を勧請して勢誉師が開山しました。寛永4年浅草に、元禄9年に白金に移転し、高野山在番所行人方触頭を勤め、御府内八十八ヶ所霊場の打留札所となっていました。大正9年に区画整理により当地へ移転しました。

杉並区教育委員会掲示による文殊院の縁起

当寺は、遍照山高野寺文殊院と号する高野山真言宗の寺院で、本尊は弘法大師像です。 寺伝では、開山に高野山興山寺の木食応其上人とされていますが、「文政寺社書上」によれば勢誉師が、慶長5年(1600)徳川家康の帰依を受けて駿府に寺地を拝領し、開創したと伝えています。開創時当時は、寺号を興山寺と称していました。 徳川氏の江戸開府に及び、寛永4年(1627)に応昌師が江戸浅草に寺地を賜り、駿府城北の丸の建物を拝領して移築しました。 その後、元禄9年(1696)麻布白金台町(現港区白金台)に移りました。その当時のようすが、「江戸名所図会」に「白金高野寺」として描かれています。そして、大正9年に区画整理のため現在地に移転してきました。 江戸期の当寺は、高野山在番所行人方触頭として真言宗では重要なお寺でした。また、宝暦年間(1751-1764)に御府内八十八ヶ所霊場打留の札所となりました。境内には、この大師信仰を示す八十八ヶ寺大師石像や「お砂踏の石」があります。 本尊の弘法大師坐像は、室町末期の作といわれ、「難産の女人を救い給う安産守護のご本尊」として信仰されており、多くの女性が安産祈願に参詣しました。弘法大師像は、区内においては大変めずらしいものです。 文化財としては、弁財天像・付近出土の板碑・百度石・文殊院文書などがあります。(杉並区教育委員会掲示より)

「杉並の寺院」による文殊院の縁起

当寺開山は、有名な高野山興山寺の木食応其上人とされるが、いわゆる勧請開山であろう。実際の開山は興山寺2世勢誉で、徳川家康の帰依を受けて駿府に寺地を拝領し、一寺を建立したのが開創である。寛永4年興山寺3世で当寺3世となった応昌が浅草に寺地と駿府城北の丸の建物を拝領したのが文殊院の始まりである。 江戸期の当寺は、芝二本榎(港区)の学侶方高野寺(現高野山東京別院)と共に、高野山の行人方の触頭として真言宗では重要な寺であった。(杉並区教育委員会掲示より)


文殊院所蔵の文化財

  • 木造弘法大師坐像(杉並区登録文化財)

文殊院の周辺図


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