高円寺天祖神社|杉並区高円寺南の神社、旧高円寺村鎮守
高円寺天祖神社の概要
高円寺天祖神社は、杉並区高円寺南にある天祖神社です。高円寺天祖神社の創建年代は不詳ですが、現宮司による由緒書によると寛治元年(1087)の創建といいます。当地周辺が江戸時代に高円寺村と改称される前は小澤村と呼ばれていましたが、高円寺村小名小澤に鎮座していたといい、古くより当地の鎮守だったことが窺われます。昭和2年村社に列格していました。
| 社号 | 天祖神社 |
|---|---|
| 祭神 | 天照大神 |
| 相殿 | - |
| 境内社 | 三峯神社、清姫稲荷神社 |
| 祭日 | 例祭日9月16日 |
| 住所 | 杉並区高円寺南1-16-19 |
| 備考 | 旧高円寺村鎮守、境外末社:田中稲荷神社 |
高円寺天祖神社の由緒
高円寺天祖神社の創建年代は不詳ですが、現宮司による由緒書によると寛治元年(1087)の創建といいます。当地周辺が江戸時代に高円寺村と改称される前は小澤村と呼ばれていましたが、高円寺村小名小澤に鎮座していたといい、古くより当地の鎮守だったことが窺われます。昭和2年村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による高円寺天祖神社の由緒
(高円寺村)神明社
除地六畝十歩、小名小澤にありて村の鎮守なり。本社は四尺に三尺、拝殿三間に二間、上屋二間に三間東向、神体白幣、木の鳥居をたつ。例祭九月十五日、村内長仙寺の持。 (新編武蔵風土記稿より)
「杉並区の神社」による高円寺天祖神社の由緒
現宮司が著わした「由緒書」によれば、「本社は寛治元年の創立と伝えられ、その始めは当時の郷土民山下久七と云ふ人ありて、極めて敬神の念厚く毎年伊勢参宮をなせLが、或る夜霊夢に日く「汝等吾れを敬する事甚だ深し、汝吾れを近く斎らば家運繁栄を守るべし」と。茲に於いて大いに悦び、直ちに伊勢神宮に参拝、その旨を告げ御分霊を賜わりて、この地に仮の社殿を建設して奉斎したと伝えられ、その後永長元(1096)年村人と相議り産土神と尊崇するに至る。抑もこの久七なる者は高円寺村の草分けの家柄に生れ、八町八反の所有地ありて、よく民衆の利便を計りて、当所道路の架橋は石で造り、姓名を彫刻したる故、現今に明らかなり、然るに其の家は絶え林となりて存せり。その家系たる山下清太郎なる者は現在も居住し分家多し。実に創立より八百数十年の星霜を経しが、ゆくりなくも大正12年の関東大震災のため東京の発展は郊外に波及し、当社の氏子区域内に居住する者日に日に増加したるに依り、崇敬者有志協議し、大正15年社殿の大修築をなし、その他の建造物等を整備し、昭和2年10月村社に列格した。」とある。現在の拝殿は天保2(1831)年9月、幣殿と本殿は明治21年2月に建立、社務所と手水合は昭和2年に落成、拝殿正面の献額(天照大御神)は宝永2(1705)年2月吉日に三橋重信が奉納したものである。なお花崗岩の鳥居は高さ十尺で明治10年に、大鳥居壱基は昭和54年に建てられた。
境外末社田中稲荷神社(高円寺南1丁目34番15号)の祭神は受持神で、「新編武蔵風土記稿」に「除地、三畝、村の東の方田の畔にあり、田中稲荷と称す、社は三尺四方、上屋二間に二間半、鳥居をたつ、村民持」とある。明治十二年の「神社明細帳」には「由緒不詳、本田間口一間半、奥行一間半、境内坪数七十三坪」とあるが、現在の境内は百十坪余あり、稲荷講中が組織されている。 (杉並区の神社より)
高円寺天祖神社の周辺図
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高円寺天祖神社鳥居
高円寺天祖神社神楽殿
高円寺天祖神社境内社


