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井草八幡宮|杉並区善福寺の神社

井草八幡宮の概要

井草八幡宮は、杉並区善福寺にある八幡宮です。井草八幡宮の創建年代は不詳ですが、建久年間の創建と伝えられます。源頼朝や太田道灌が戦勝を祈願、慶安2年(1649)には、江戸幕府より社領6石の御朱印状を拝領したといいます。明治6年に村社に列格、昭和3年郷社に列格しており、昭和41年には別表神社に列格しています。

井草八幡宮
井草八幡宮の概要
社号 井草八幡宮
祭神 応神天皇
相殿 -
境内社 稲荷社、八雲神社、御嶽社、三峯社、祓戸社、三宮社
祭日 例祭日10月1日
住所 杉並区善福寺1-33-1
備考 旧郷社、別表神社、井草民俗資料館・八幡幼稚園併設



井草八幡宮の由緒

井草八幡宮の創建年代は不詳ですが、建久年間の創建と伝えられます。源頼朝や太田道灌が戦勝を祈願、慶安2年(1649)には、江戸幕府より社領6石の御朱印状を拝領したといいます。明治6年に村社に列格、昭和3年郷社に列格しており、昭和41年には別表神社に列格しています。

杉並区教育委員会掲示による井草八幡宮の由緒

この神社は旧上、下井草村の鎮守です。御祭神は八幡大神で、明治時代までこの付近の古い地名から遅野井八幡宮とも呼ばれていました。
境内東側付近からは縄文時代中期(約四千年前)の住居址が発見され、多くの土器が発見されました。その中の顔麺把手付釣手形土器は、国の重要文化財に指定されております。このように当社周辺は太古の昔から森もあり水も豊かで、生活に適した景勝の地であったと思われます。
当社は九百余年の歴史をもつと伝えられ、社前には源頼朝が文治二年(1186)奥州藤原泰衡征討の際、戦勝を祈願して手植寄進したという天然記念物の大きな松がありましたが、残念ながら昭和四十八年枯れてしまいました。また、江戸時代の慶安二年(1649)徳川家光は、社殿を造営させ朱印領六石を寄進しております。
祭日は十月一日を中心に、三年ごとに神輿の渡御、五年ごとに鎌倉の昔をしのぶ珍しい流鏑馬の神事が行われています。(杉並区教育委員会掲示より抜粋)

新編武蔵風土記稿による井草八幡宮の由緒

(上井草村)八幡社
青梅街道の南にあり。本社は五間四方、拝殿五間に二間半南向、鳥居二基をたつ。本地弥陀の坐像長七寸なるを安ず。社領御朱印六石を附せらる。別当は勝鬼山金胎寺林光坊と云。本山派の修験にて同郡府中宿門善坊の配下なり。鎮守年代詳ならず。当村及井草村の鎮守、例祭八月十五日。(新編武蔵風土記稿より)


井草八幡宮所蔵の文化財

  • 板絵着色榛名山社頭図一面(杉並区指定有形民俗文化財)
  • 板絵着色遅の井伝説図一面(杉並区指定有形民俗文化財)

板絵着色榛名山社頭図一面(杉並区指定有形民俗文化財)

この板絵は井草村を中心とする榛名講中が、文政十二年(1829)に奉納したものです。横160㎝、縦121㎝の大きな画面には、榛名神社の社殿、社頭の図および参拝する人々の姿が力強いタッチで描かれています。また下部には区外の村々をも含む七三名の奉納者名がみられ、古くから農民の信仰を集めていた榛名講の隆盛さと広がりをうかがわせます。区内でも古い年代に属するこの板絵は、当時の神祇信仰と神社参拝の慣習や風俗を伝える好資料で、現在は、当宮文華殿に保管されています。(杉並区教育委員会掲示より)

板絵着色遅の井伝説図一面(杉並区指定有形民俗文化財)

この板絵は上井草村の旧名遅の井の地名起源を描いたもので、天保十一年(1840)に上井草村の本橋勝三郎が奉納したもので、伝説によれば源頼朝がこの地に宿陣した際、水を得るため井戸を掘ったが、水の出があまりに遅いので、「遅の井」と名づけたといわれています。弓で井戸を掘る源頼朝と傍らで見守る二人の武将を描いた図柄はその伝説に基づいています。水と英雄伝説が結びついたこの板絵は、豊作を祈願する農民の心情をよく現わしており、現在は、当宮文華殿に保管されています。(杉並区教育委員会掲示より)

井草八幡宮の周辺図


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