笹寺長善寺|新宿区四谷にある曹洞宗の寺院
笹寺長善寺の概要
曹洞宗の長善寺は、四谷山と号します。天正3年(1575)甲斐国武田氏の臣高坂弾正昌信の居所に結ばれた草庵を起源とします
| 山号 | 四谷山 |
|---|---|
| 院号 | - |
| 寺号 | 長善寺 |
| 住所 | 新宿区四谷4-4 |
| 宗派 | 曹洞宗 |
| 葬儀・墓地 | 長善寺笹寺会館で宗旨宗派を問わず葬儀利用可能 |
| 備考 | 笹寺 |
笹寺長善寺の縁起
笹寺長善寺は、天正3年(1575)甲斐国武田氏の臣高坂弾正昌信の居所に結ばれた草庵を起源とします。二代将軍秀忠が立ち寄った際に笹が繁ったいたことから、笹寺と呼ばれるようになったと伝えられます。
ガイドブック新宿区の文化財による笹寺長善寺の縁起
曹洞宗・最善寺は、天正3年(1575)、「甲陽軍艦」の著者として知られる甲斐国(山梨県)武田氏の臣高坂弾正昌信の居所にむすばれた草庵から起こった。開山は文叟憐学和尚で、本尊の釈迦如来石像は元禄3年(1690)7月につくられたものである。四谷の多くの寺院が、寛永11年(1634)以降に麹町から移転してきたものであることを思えば、それらよりもずっと古くこの地に創建されていた長善寺の地域社会的意味はたいへん大きいといえる。
当寺は笹寺とも呼ばれているが、この名は、二代将軍徳川秀忠が鷹狩の途中ここに立ち寄り、境内に笹が繁っているのを見てつけたものだとも(「江戸名所図会」など)、それは三代将軍徳川家光が江戸巡覧をした時のことだとも(寺伝) いわれる。この二説には、いずれも確実な根拠があるわけではないから、どちらが正しいとはいいかねる。ただ、当寺の宝物となっている「めのう観音」(区指定文化財)が秀忠の念持仏で、秀忠の死後に夫人の崇源院が寄贈したという伝えや (夫人の念持仏との説もある)、開山の憐学和尚が寛永9年(1632)に没していることなどを考えあわせると、将軍秀忠の時代(1605-1623)のことと考える方が自然のようである。
この寺には「四谷勧進角力始祖」と刻まれた3mほどの石碑がある。これは力士明石志賀之助が寛永元年に境内で6日間の相撲興行をしたのを、江戸の勧進相撲のはじめとして東京大角力協会が建てたものである (異説もある)。
墓地には、本居宣長の門人で四谷刈豆店に住んだ林国雄(天保10年2月26日没、62歳)や、子の林甕雄(文久2年9月24日没)、孫の林甕臣(大正11年1月8日没)ら一族の国学者、同じ国学者で一橋家の目付役をした畠山梅軒(天保12年12月4日没、71歳)と孫の畠山如心斎(明治16年6月27日没)、求玄龍砲術の創始者である大草求玄(天保7年12月4日没、60歳)、中国(明)から帰化した医師・北山理庵(明和4年4月27日没、81歳)などの墓がある。(ガイドブック新宿区の文化財より)
笹寺長善寺所蔵の文化財
- 長善寺(笹寺)のめのう観音像
長善寺(笹寺)のめのう観音像
赤めのうで彫られた珍しい観世音菩薩像である。像高4.9cmの小像であるが、容貌は豊麗で精密な作品である。
黄銅製の光背が付され、宝形造の屋根をもち、正面下に蓮華、左右下部に笹寺に因んだ笹の浮彫りがある台座に安置されている。
本像は、二代将軍徳川秀忠の念持仏を、夫人の祟源院から賜ったものと伝えられている。(新宿区教育委員会掲示より)
笹寺長善寺の周辺図
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笹寺長善寺山門
笹寺長善寺稲荷社
笹寺長善寺会館
