自證院|新宿区富久町にある天台宗の寺院、ふし寺、瘤寺
自證院の概要
天台宗の自證院は、鎮護山と号します。尾張藩主徳川光友の夫人千代姫の母自証院を供養するため、寛永17年(1640)日須上人を開山として日蓮宗本理山自証寺として創建、元文年間(1736-41)天台宗に宗旨を改めました。江戸時代の伽藍は節目の多い材木を使用していたことから、ふし寺・瘤寺と呼ばれていました。
| 山号 | 鎮護山 |
|---|---|
| 院号 | 自證院 |
| 寺号 | - |
| 住所 | 新宿区富久町4-5 |
| 宗派 | 天台宗 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | - |
自證院の縁起
自證院は、尾張藩主徳川光友の夫人千代姫の母自証院を供養するため、寛永17年(1640)日須上人を開山として日蓮宗本理山自証寺として創建、元文年間(1736-41)天台宗に宗旨を改めました。江戸時代の伽藍は節目の多い材木を使用していたことから、ふし寺・瘤寺と呼ばれていました。
新宿区の文化財史跡ガイドブックによる自證院の縁起
自証院は、寛永17年(1640)、尾張藩主徳川光友の夫人千代姫の母、自証院を供養するために創建された寺である。日須上人を開山とし、最初は日蓮宗で本理山自証寺といったが、元文年間(1736-41)に天台宗に改宗された。古くは桜の名所であったという。また寛政12年(1800)、尾張藩の寄進により建立された堂塔の用材が良否を問わず槍の節目が多いものを用いたため「ふし寺」「瘤寺」とも呼ばれた。
明治時代末期、この付近に住んでいた文学者小泉八雲が自証院の風致を好んだが、杉の木を切り倒す音を聞いて、杉の木がかわいそうでいたたまれなくなって転居した話は有名である。
境内には、弘安6年(1283)の銘のある区内最古の阿弥陀三尊種子板碑などがある。(新宿区の文化財史跡ガイドブックより)
自證院にある新宿区文化財
- 自証院の阿弥陀三種子板碑(新宿区指定有形文化財)
自証院の阿弥陀三種子板碑
弘安6年(1283)の紀年銘を有する区内最古の板碑であり、その大きさも都内で屈指のものである。
山形の下に二条線が切りこまれ、天蓋の下に阿弥陀・観音・勢至の三尊の種子がそれぞれ蓮台を配して刻まれ、その下に紀年銘が記されている。天蓋・種子ともに古様を示し、板碑全体が鎌倉中期の特徴を持っている。
当時市谷付近に有力武将の居住を物語るものとして、また浄土信仰の普及を示すものとして貴重である。
なお三尊種子板碑両脇の「栄寿院妙山准心大姉」「元禄八乙寅年六月十九日」の文字は江戸時代の追刻である。(新宿区教育委員会掲示より)
自證院の周辺図
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自證院山門
