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円照寺|新宿区北新宿にある真言宗豊山派寺院

円照寺の概要

真言宗豊山派寺院の円照寺は、医光山と号します。創建年代は不詳ですが、理源大師の弟子の貞崇僧都が安置した薬師堂を起源とし、天慶3年(940)藤原秀郷が平将門征伐の際に一寺となしたと伝えられます。当地は、地頭柏木右衛門佐頼秀の居館跡といわれ、その桜が接木され残されています。豊島八十八ヶ所霊場8番です。

円照寺
円照寺の概要
山号 医光山
院号 -
寺号 円照寺
本尊 薬師如来像
住所 新宿区北新宿3-23-2
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 豊島八十八ヶ所霊場8番、もと鎧神社の別当寺



円照寺の縁起

円照寺の創建年代は不詳ですが、理源大師の弟子の貞崇僧都が安置した薬師堂を起源とし、天慶3年(940)藤原秀郷が平将門征伐の際に一寺となしたと伝えられます。当地は、地頭柏木右衛門佐頼秀の居館跡といわれ、その桜が接木され残されています。慶長年中(1596-1615)に焼失した際には春日局が施主となり再建されています。

新編武蔵風土記稿による円照寺の縁起

(柏木村)円照寺
新義真言宗、田端村与楽寺末、医王山瑠璃光院と号す。本尊不動を置。慶長年中に諸堂焼失して記録も皆失ひす。春日局施主となりて再建すと云ふ。
寺宝。
蛇骨一、来由詳ならず。同茶碗一。同香炉一。以上三品は尾張大納言光友卿簾中千代姫より御寄附と云。
薬師堂、本尊は行基の作なり。
閻魔堂。
鐘楼、鐘は寛政2年の再鋳なり。
右衛門桜。薬師堂の前にあり。古木は枯て後に植つきしものなり。正保改の国図にも載たれは、其頃既に名高かりし事しらる。往昔後一條院の御宇柏木右衛門左頼季と云人あり。始は乙葉三郎季長元3年上総介平忠常、陸奥権介忠頼兄弟を追討せる賞として角筈、柏木の地をたまはり、即此処に館を構へて住居せし「右衛門桜物語」と云ものに載たり。されと此記は後人の手に成て事を工に綴りしなれば、元より證となすへきものにはあらんとのみ記したれは、天和の頃傳への造ならさりしこと知らる。或日、此地近き処に武田右衛門と云人ありて、この桜の古木となりしを憂へ、接木となし栽つきしゆへ此名ありしと、兎角拠とすへきものなし。萬冶、寛文頃は木も盛りにして遊賞の者多かりしと云。(新編武蔵風土記稿より)

新宿区の文化財による円照寺の縁起

真言宗豊山派の寺院で、医光山瑠璃光院円照寺という。もと鎧神社の別当寺であったといわれる。
縁起については定かではないが、「江戸名所図会」などによれば、次のような経緯を経て藤原秀郷によって建てられたという。
醍醐天皇の時代に、理源大師の弟子の貞崇僧都が現在の円照寺のあたりに、薬師如来像を安置した。承平5年(935)から天慶2年(939)にかけて平将門が関東に勢力をもつようになった。天慶3年(940)、藤原秀郷が将門を討伐するため軍勢を率いて出陣したが、中野のあたりで病に伏してしまった。あいにくと軍中に適当な薬もなくこまっていたが、その夜の霊示に従ってこの薬師如来像に祈ったところ、苦痛はたちまちのうちになくなったばかりでなく、あわせて行なった将門討伐の祈願も無事に達成された。喜んだ秀郷は、凱旋の後に堂塔を建立し、円照寺としたという。
また一説では、旧地頭の柏木右衛門佐頼秀の館跡であったとも伝えられており、境内にその由来にもとづく右衛門桜が植えられており、名木として有名だった(現在の木は三代目)。
  堂宇はその後何回か焼亡し、修覆をくり返した。寛永18年(1641)には春日局が施主となり再建されている。第二次大戦の戦災でも被害を受け、近年になり堂塔が新築された。(新宿区の文化財より)


円照寺の周辺図


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