来迎寺|新宿区喜久井町にある浄土宗寺院

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紫雲山来迎寺|山の手三十三観音霊場

来迎寺の概要

浄土宗寺院の来迎寺は、紫雲山聖衆院と号します。祟蓮社傳誉上人学阿西入良縁和尚(万冶3年1660年寂)が寛永8年(1631年)創建したといいます。当寺所蔵の庚申塔は江戸時代の年号が刻まれていますが、当地牛込馬場下を「湯原郡(荏原郡)」と刻んでおり、当地が豊島郡とされている江戸時代になってもなお、中世の行政区分が利用されていたことがわかるといいます。山の手三十三観音霊場18番です。

来迎寺
来迎寺の概要
山号 紫雲山
院号 聖衆院
寺号 来迎寺
本尊 阿弥陀如来像
住所 新宿区喜久井町46
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 山の手三十三観音霊場18番



来迎寺の縁起

来迎寺は、祟蓮社傳誉上人学阿西入良縁和尚(万冶3年1660年寂)が寛永8年(1631年)創建したといいます。

「牛込區史」による来迎寺の縁起

紫雲山聖衆院来迎寺 筑後善導寺末
寛永八年起立、開山崇蓮社上人専阿良縁和尚、(剃髪之師は下谷宗源寺寳譽月秀)萬治三年四月廿日寂。舊境内済松寺領年貢地九百六十一坪。(「牛込區史」より)

東京名所図会による来迎寺の縁起

来迎寺は、同町(喜久井町)四十六番地に在り、浄土宗にして紫雲山と號す、開山は崇蓮社傳譽上人西入良縁大和尚なり。
本堂の右松樹の下柘植の前に、庚申の碑あり、諸所載る所誤り多し、余の實験せし所左の如し。
武州湯原郡牛込馬場下町
奉待庚申現當二世悉地成就處同行二十四人連名略す。
延寶四年丙辰八月十五日河田久保
湯原郡は荏原郡の誤にて。往古は此邊荏原郡なりとの説あり。誓願寺の鐘の銘にも亦荏原郡とあり。されども此等皆誤にて、其の實は豊島郡なり。(東京名所図会より)

御府内寺社備考による来迎寺の縁起

筑後国善導寺末 牛込馬場下
紫雲山聖衆院来迎寺、境内済松寺領年貢地961坪
起立之儀者寛永8辛未年
開山祟蓮社傳誉上人学阿西入良縁和尚剃髪ノ砌於下谷宗源寺開山宝誉月秀和尚弟子附法大光院呑龍上人、万冶3子年4月20日寂。
本尊阿弥陀如来、木佛立像丈2尺8寸。脇立観世音菩薩、大勢至菩薩、各木佛丈2尺5寸。善導大師、元祖大師、各立像丈2尺5寸。内佛本尊阿弥陀如来、木佛立像丈2尺3寸恵心作。加羅陀山願成就菩薩尊、慈覚大師作立像丈5寸3分写本縁起有之略。
観音堂、間口2間奥行3間。本尊聖観世音菩薩、行基作丈1尺2寸坐像。
稲荷社、間口2尺奥行2尺5寸、神体白幣。
延命地蔵尊、石像坐身丈2尺5寸。
万人塔、丈1大8尺四方、面本堂南東に有之。右銘文左ノ通リ。波阿弥陀仏、汝好持是語持是語者郎是持無量寿佛名。
以上丁亥書上(御府内寺社備考より)


来迎寺所蔵の文化財

  • 来迎寺の庚申塔

来迎寺の庚申塔

延宝4年(1676)に造立された板碑型の庚申塔である。
石質は極めて固い玄武岩で、高さは120cm、上部左右に日月を配し、中央岩座に三猿、下部に対面した雌雄の鶏が浮彫され、江戸時代前半の庚申塔の特色を示している。
また向って右側に「武州湯原郡牛込馬場下町」の陰刻があり、江戸時代になっても中世当時の古地名を記した史料として極めて価値が高い。


来迎寺の周辺図