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経王寺|新宿区原町にある日蓮宗寺院、新宿山之手七福神の大黒天

経王寺の概要

日蓮宗寺院の経王寺は、大乗山と号します。経王寺は、尊重院日静大徳が慶長3年(1598)市ヶ谷田町に創建したといいます。外濠造成に伴い川田久保(当地周辺)へ移転、天和3年(1683)当地へ移転したといいます。当寺の大黒天像は、日蓮宗中老日法の作で、日静上人が身延山久遠寺より持ち出したものといい、度重なる火事にも焼け残ったことから「火伏の大黒天」として崇敬を集め、新宿山之手七福神の大黒天ともなっています。

経王寺
経王寺の概要
山号 大乗山
院号 -
寺号 経王寺
住所 新宿区原町1-14
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 新宿山之手七福神の大黒天



経王寺の縁起

経王寺は、尊重院日静大徳が慶長3年(1598)市ヶ谷田町に創建したといいます。外濠造成に伴い川田久保(当地周辺)へ移転、天和3年(1683)当地へ移転したといいます。江戸時代末期には、11代将軍徳川家斉の還暦祈願により建立計画された感応寺の建設中止に抗議して、畳屋太兵衛が経王寺本堂で自決したといいます。

「牛込區史」による経王寺の縁起

(川田久保)大乗山経王寺 下総平賀本土寺
慶長三年市谷田町に除地拝領起立、後寛永九年上地し、河田久保に代地拝領、天和三年二月再び上地、今の地六銭寺上り屋敷古跡(原町)拝領した。開山尊重院日静、寛永七年七月十七日寂、舊境内古跡拝領地二百八十七坪九合三夕、持添年貢地二百坪。(「牛込區史」より)

御府内寺社備考による経王寺の縁起

下総国平賀本土寺末 市ヶ谷川田久保
大乗山経王寺、境内古跡拝領地281坪9合3夕持添年貢地200坪
慶長3戌年於市ヶ谷田町除地拝領仕起立有之候処、其後寛永9申年御堀地御用ニ付同村川田久保ニ而371坪代地拝領仕住処、又而天和3亥年2月後用地ニ被召上此処之継寺上願屡ニ古跡拝領仕別当地ニ相成候。
開山尊重院日静大徳寛永7年7月17日寂
客殿、間口6間奥行5間。本尊宗法之通諸尊安置。
大黒堂、2間ニ3間半。開運大黒天、中老日法作丈5寸余。
天満宮。瀧光稲荷。
以上丁亥書上。(御府内寺社備考より)

新宿区の文化財史跡ガイドブックによる経王寺の縁起

日蓮宗。この寺にまつる大黒天像(区指定文化財)は、日蓮上人の高弟、中老僧日法上人の作で、慶長3年(1598)に尊重院目静上人が身延山からここに移したものという。たびかさなる火災にも焼けずに残ったので「火ぶせの大黒天」と呼ばれて庶民の信仰を集めた。昭和のはじめころからは、第二十二世日翁上人により開運大黒天としてまつられるようになった。新宿山之手七福神の一つである。
墓地には畳屋太兵衛の墓がある。十一代将軍徳川家斉の還暦祈願のために幕府の援助をえて雑司ケ谷鼠山に建てられた日蓮宗・感応寺は、芝増上寺(浄土宗)、上野寛永寺(天台宗)など幕府と密接なつながりのある有力寺院の反発にあい、家斉死後の〝天保の改革″によって破却された。熱烈な信者であった太兵衛は再興をたびたび幕府に願い出たが入れられず、経王寺本堂において死の抗議をした。この結果感応寺は一旦再興されたが現在は残っていない。
また長谷川家の墓には、明治時代の小説家・翻訳家であった二葉亭四迷の父・母・兄・妻らの遺骨が納められている。(新宿区の文化財史跡ガイドブックより)


経王寺所蔵の文化財

  • 経王寺の大黒天像(新宿区指定有形文化財)

経王寺の大黒天像

新宿山之手七福神のひとつで、日法上人の作、慶長3年(1598)に甲斐国身延山より移されたと伝えられる。
高さ12cmの木彫立像で、大黒頭巾をかぶり小槌と大袋を持ち台座に乗る通規の様式だが、江戸時代のものと異なり、微笑面ではなく厳しい表情をしている。
室町時代の作と考えられ、度重なる火災にも焼け残ったことから「火伏せ大黒」として崇敬されている。(新宿区教育委員会掲示より)


経王寺の周辺図