西迎寺|新宿区舟町にある浄土宗寺院

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紅葉山西迎寺|三浦義広嫡男義行創建

西迎寺の概要

浄土宗寺院の西迎寺は、紅葉山と号します。西迎寺は、西迎法師(明応8年1499年寂)が、延徳2年(1490)、太田道灌の菩提を葬うため西光庵と号して江戸城紅葉山の地に創建、寛永年中に四谷に移転したといいます。西迎法師は三浦四郎義広の嫡男で、大田道灌の父道真と親子の契を交わしており、父三浦義広、大田道灌の死後、仏門に入ったといいます。

西迎寺
西迎寺の概要
山号 紅葉山
院号 -
寺号 西迎寺
住所 新宿区舟町13-2
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



西迎寺の縁起

西迎寺は、西迎法師(明応8年1499年寂)が、延徳2年(1490)、太田道灌の菩提を葬うため西光庵と号して江戸城紅葉山の地に創建、寛永年中に四谷に移転したといいます。西迎法師は三浦四郎義広の嫡男で、大田道灌の父道真と親子の契を交わしており、父三浦義広、大田道灌の死後、仏門に入ったといいます。

御府内寺社備考による西迎寺の縁起

増上寺末 四谷小寺町
紅葉山摂取院西迎寺、境内拝領地二千四百四拾四坪
開闢起立之儀者紅葉山西迎法師為太田道灌公菩提為庵開創西光庵と称し不断念佛修行在候。
開山西迎法師明応八年四月十一日示寂世寿七拾一歳。
六世中興信蓮社源誉昌敬光龍正保二酉年六日卒月不知
本堂、間口六間奥行八間。本尊弥陀坐像、丈二尺毘須羯摩作。二菩薩之像、各丈二尺。両大師立像、各丈二尺一寸。薬師如来座像、厨子入丈一尺余弘法大師作。日光月光立像、丈一尺二寸。十二神立像、各丈一尺二寸。(御府内寺社備考より抜粋)

「四谷區史」による西迎寺の縁起

紅葉山攝取院西迎寺、四谷北寺町今の舟町に在る増上寺末の浄土宗である。境内拝領地二千よん百拾坪餘。開山の西迎法師は明應八年四月十一日を以て示寂したから足利時代の創立である。初め江戸城内紅葉山に在つて西光庵と稱した庵室で、庵主西迎が太田道灌の菩提の爲に不断の念佛を修行したのであつたが、所々を轉々して寛永年中四谷に寺地を賜うたと云ふ。寺傳に據れば開山西迎は道灌の舊臣で、俗名を三浦右馬之丞義行と云ひ、主の爲に軍忠を擢でた勇将であつたが、道灌歿後法躰して其後世の冥福を祈つたとある。文政寺社書上に西迎庵三世洞譽天文十二年執筆の由来が見えるが事長ければ茲には省略する。
轉地以来の開山を儀蓮社仁譽存公と云つたが、行状示寂等を明かにしない、六世中興は信蓮社深譽昌故光龍で正保二年酉の幾月かの六日示寂とのみで一切は詳かでない。貞享三年冬檀越伏見勘七郎爲智寄進の梵鐘がある。(「四谷區史」より)


西迎寺所蔵の文化財

  • 西迎寺の阿弥陀如来座像(新宿区指定有形文化財)
  • 西迎寺の梵鐘(新宿区登録有形文化財)

西迎寺の阿弥陀如来座像

元禄7年(1694)旗本伏見勘七郎為智が父の供養のために、当時名鋳物師といわれた椎名伊予守良寛に製作させたものである。
青銅製で、像高237cm、台座高135cm、両手の親指と人差指で環をつくり膝の上で合せた「定印」を結んでいる。
区内の鋳造による阿弥陀如来座像としては規模が最も大きく、造立者や製作者が判明している点からも史料的価値が高い。(新宿区教育委員会掲示より)

西迎寺の梵鐘(新宿区登録有形文化財)

西迎寺第八世超誉萬愚(伝大信寺初世)が、大檀越の伏見勘七郎為智等に広く喜捨を仰ぎ、貞享3年(1686)年に鋳造された胴造の梵鐘。総高150.0cmで、江戸鋳物師椎名伊予守良寛の作であり、同寺に伝わる「阿弥陀如来坐像」(区指定文化財)と同じ寄進者、鋳物師が関わっている。
江戸鋳物師の製造技術が頂点に達した時期の作品で、江戸鋳物師の作風・製造技術を知ることができる。また、銘文から当寺の寺歴や梵鐘鋳造の歴史を知ることができ、史料的価値も高い。
太平洋戦争中の供出により区内の江戸時代の梵鐘は残存数が少なく貴重である。(新宿区教育委員会掲示より)


西迎寺の周辺図