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居木神社|品川区大崎の神社、居木橋遺跡

居木神社の概要

居木神社は、品川区大崎、旧居木橋村と呼ばれていた地にある神社です。居木神社の創建年代は不詳ですが、以前には居木橋の南方にあり、雉子の宮と称していたといいます。江戸時代初期に観音寺と共に当地へ遷座、村内にあった貴船明神社、春日明神社、子権現社、稲荷明神社を合祀、五社明神社と称しました。明治時代に入り、居木神社と改称、村社に列格していました。

居木神社
居木神社の概要
社号 居木神社
祭神 日本武尊、天児屋根命、大国主命、高龗神、倉稲魂命
配祀 -
境内社 稲荷社
祭日 例祭日9月17日
住所 品川区大崎3-8-20
備考 -



居木神社の由緒

居木神社の創建年代は不詳ですが、以前には居木橋の南方にあり、雉子の宮と称していたといいます。江戸時代初期に観音寺と共に当地へ遷座、村内にあった貴船明神社、春日明神社、子権現社、稲荷明神社を合祀、五社明神社と称したといいます。明治5年居木神社と改称、明治29年、42年には村内鎮座の「稲荷神社」「川上神社」「本部神社」の三社六座を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による居木神社の由緒

(居木橋村)五社明神社
除地3段6畝、村の東南にあり。古は村の西北にありしが水溢の憂を避て今の地へ移れり。旧蹟には松の大樹残れり。これ前にいへるゆるぎの松と称するものなり。今の社地は土地高くして喬木茂りあへり。本社3間半に3間。祭神は雉子大明神なり。当所遷座のとき村内に祀りし貴船明神春日明神子権現稲荷明神の四座を勧請して一社とす。故に五社明神と号す。本社の前に拝殿あり。2間四方石階十五級を下りて石の鳥居を立。祭礼毎年9月23日、村民神楽を執行す。当所鎮座の年代は詳ならず。当所へ遷座ありしは百七十年前の事也。観音寺持。(新編武蔵風土記稿より)

東京都神社名鑑による居木神社の由緒

当神社の御創建の年代ば詳らかではないが、古い記録によると、往古鎮座の地は、武蔵国荏原郡居木橋村(現在の居木橋付近)に位置し「雉子の宮」と称され、境内に「ゆるぎの松」と呼ばれた大木があったと伝えられる。江戸の初期、目黒川溢水の難を避け、現在の社地に御動座された。そのおり村内に鎮座の「貴船明神」「春日明神」「子権現」「稲荷明神」の四社を配祀「五社明神」とも称した。元禄郷帳には居木橋村の石高は、二百三十石余七十二戸で、頭屋(年番)による運営がなされ、郷土の崇敬は篤く祭事は盛んで、特に里神楽を催し、秋の大祭には他村よりの参拝も多く、御社頭は賑わったという。明治五年御社号を「居木神社」と改め、同二十九年および同四十二年には村内鎮座の「稲荷神社」「川上神社」「本部神社」の三社六座が合祀された。昭和五年には、氏子内の崇敬熱意により、御本殿改築、境内整備の議が起こり、同八年九月に、四年の歳月と赤誠、奉賛によって、総坪数三十六坪余の木造銅板茸の御社殿が竣工、境内整備も、正面階段、御影鳥居、玉垣、同富士講塚の築庭、手水合の新設、参道敷石の布設等すべてが荘厳に完成したが、先の大戦末に戦火によって炎上し、そのごは災禍をまぬかれたもとの本殿建物であった、境内末社に御祭神をお遷し申し上げ、祭祀につとめた。(東京都神社名鑑より)


居木神社所蔵の文化財

  • 居木橋遺跡

居木橋遺跡

居木橋遺跡は、居木神社の南方に位置する台地上にあり、縄文時代前期(約六千-五千年前)の貝塚を伴う遺跡で、竪穴住居も多数確認されています。
貝塚は、食用にした貝の殻や魚・獣の骨のほか、土器片などが堆積したもので、当時の生活を知る重要な手がかりを現在の私たちに提供してくれています。
これまでの調査から、多くの縄文土器、石器などが出土していますが、貝類では、海でとれるものの他に、陸でとれるヒダリマキマイイマイ(かたつむり)も発見され注目されました。(品川区教育委員会掲示より)

居木神社の周辺図




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