恵日山宝泉寺|渋谷区東にある天台宗の寺院
宝泉寺の概要
天台宗寺院の宝泉寺は、恵日山薬王院と号します。慈覚大師が開山、渋谷重本が開基となり創建したといいます。もと渋谷氷川神社別当、関東九十一薬師霊場12番です。
| 山号 | 恵日山 |
|---|---|
| 院号 | 薬王院 |
| 寺号 | 宝泉寺 |
| 住所 | 渋谷区東2-6-16 |
| 本尊 | 阿弥陀如来 |
| 宗派 | 天台宗 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | 渋谷氷川神社別当、関東九十一薬師霊場12番 |
宝泉寺の縁起
宝泉寺は、慈覚大師が開山、渋谷重本が開基となり創建したといいます。もと渋谷氷川神社別当です。
渋谷氷川神社別当 宝泉寺
天台宗山王城琳寺末、恵日山薬王院と号す。
慈覚大師の開山なり。開基渋谷重本の碑なりとて境内に建つ。正面に正応5年9月24日と彫のみ、裏に後人の文を刻すと云。渋谷領主渋谷佐重本始て開基す。卒して渋谷院台谷渋蓮と号す、後廃壊せしに、重本か子孫野崎若狭佐重安、慶長年間僧實円を中興として廃れたるを興すと云。按ずるに大師を開山とし重本を開基とすること年代齟齬す、古の事にて傳を誤れるならん。
本尊弥陀立像、脇立観音、勢至を安す、弥陀は恵心の作と云ふ。
寺宝、般若心経一軸、慈覚大師筆。土佐坊昌俊像一体、坐像長1尺4寸。兜一頭、鉢頭形にて、黒漆と錣三枚、威毛菱縫等色分明ならす、是昌俊の着せし物といへと其頃の物とは見へす。鞍一口、普通の鞍に異ならす、惣黒漆前後の輪に蔦の蒔絵あり、是も昌俊の乗鞍と云傳ふ。色紙一枚、義朝の妾常盤、社地の松に附し色紙にて、すなはち自詠自筆なりと云詳なることは既に常盤松の條に見へたり、色紙の圖左の如し。金王桜、金王八幡社の木と同木なり、是も古木は朽て萌葉敷株となれり。強力権現社、相傳ふ、往昔の佳僧某大和国大峯に詣て異僧に逢り、彼僧云、汝賊盗を患ることあらん、此神像を尊信せは其難を免かるへしとて、一体の木像を授く、長5寸5分、其形秋葉権現に似たり、僧の名を問しに強力とのみ答てうせ去ぬ、後年小祠を寺内に建、其像を祀り遂に神号とすと云。
鐘楼、宝暦12年鋳造の鐘をかく。
薬師堂、門外にあり、左馬頭義朝の妾常盤の守護佛と云傳ふ、故に常盤薬師と号す、坐像長3寸許、慈覚大師の作、常盤のことは既に前に弁す。近き頃堂は回録に罹りて再建に及はす、像は仮に客殿に安す。(新編武蔵風土記稿より)
宝泉寺所蔵の文化財
- 木造阿弥陀如来立像(渋谷区指定有形文化財)
木造阿弥陀如来立像
本像は当寺の本尊で、ほぼ直立する端正なつくりの阿弥陀如来立像として伝来しています。
お像は針葉樹の一材からつくられていますが、耳の後ろを通る線で前後に割り、その内部を刳り抜いた割矧造という手法が用いられています。
本像は鎌倉時代後期につくられたと考えられますが、当時流行した仏像の眼に水晶をはめ込んだ玉眼という技法は用いずに彫りあげた彫眼とし、螺髪も彫り出してなだらかに整えるなど、洗練された表現が際立っています。
お顔にわずかな整形を加えていますが、当初の像容を損なわずに伝存した本像は、区内に伝わる秀れた鎌倉時代の作例として重要なものです。
宝泉寺の周辺図
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宝泉寺山門