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円光院|世田谷区世田谷にある真言宗豊山派寺院

円光院の概要

真言宗豊山派寺院の円光院は、大悲山明王寺と号します。天正年間に盛尊(元和7年(1621没)により開基されました。玉川八十八ヶ所霊場49番札所です。

円光院
円光院の概要
山号 大悲山
院号 円光院
寺号 明王寺
住所 世田谷区世田谷4-7-12
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 円光院墓地受付中
備考 玉川八十八ヶ所霊場49番札所、



円光院の縁起

円光院は、天正年間に盛尊(元和7年1621年没)により開基されました。玉川八十八ヶ所霊場49番札所です。

新編武蔵風土記稿による円光院の縁起

(世田谷村)圓光院
境内除地一段二畝、字下町にあり、新義真言宗にて、村内勝国寺の末寺なり。大悲山明王寺と云、開山開基等その人を詳にせず。當寺の境内は吉良家の盛なりし頃櫓のありし跡なりと云。その後寺院となりしといへば、さして古き寺にはあらざることしらる。本堂七間に五間、本尊不動を置長二尺。
表門。南向にて三間半なり。
閻魔堂。門を入て左にあり三間四方なり。(新編武蔵風土記稿より)

せたがや社寺と史跡による円光院の縁起

一説によると、この寺は武蔵の豪族吉良家の祈願寺であったと伝えられ、天正年間に盛尊(元和7年(1621没))により開基された。その当時の建物には、朱塗りの山門、本堂、閻魔十王堂、庫裡があり、主要建築物は数度の風禍にあって倒壊してしまった。天保年間に密三和尚が本堂を修理したが、明治初期に廃寺の運命をたどろうとしたとき、吉良家の祈願寺であり、代官大場家の信仰の寺という由緒を深く惜しんで檀家の強い願いのもとに明治26年に再興した。明治32年信海大和尚が境内の大改修工事を行い今日の隆盛の基礎を築いた。「武蔵風土記稿」によれば「除地1段2畝、字下町ニアリ、新義真言宗ニテ同村勝国寺ノ末寺ナリ、大悲山ト云(中略)当寺ノ境内ハ吉良家ノ盛ナリシ頃、櫓ノアリシ蹟ナリト云、ソノ後寺院トナリシトイヘバ、サシテ古キ寺ニハアラザルコトシラル、本堂7間ニ5間、本尊不動明王、タケ2尺ト云、表門、南向ニテ3間半ナリ、閻魔堂門ヲ入リテ左ニアリ、3間四方ナリ」とある。
境内を入ると無縁石塔群があり、庫裡の庭先には2枚の板碑(青石塔婆)が見られる。そのうちの1枚は文法2年(1318)の記年があり、下に花瓶を画き、他の1枚には上部に弥陀3尊の種字を記している。かつて弦巻1丁目阿弥陀丸の地に、松本山光善寺という古寺があったが、これはその阿弥陀丸の板碑と考えられ、近くの畑中の板橋の桟として使用していたものを円光院に移したものである。阿弥陀丸はやや鋭角形の南に傾斜面をもつ地形で駒沢から北約300mの位置にある。光善寺は了海上人の開いた寺で、この地から港区芝に移り、今日では、山王町の善福寺中になっている。(せたがや社寺と史跡より)


円光院の周辺図


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