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慈眼寺|世田谷区瀬田にある真言宗智山派寺院

慈眼寺の概要

真言宗智山派寺院の慈眼寺は、喜楽山教令院と号します。徳治元年(1306)法印定音が小堂を建てたのを始まりとし、天文2年(1533)長崎四郎左衝門が、この小堂を崖上の当地に移し真言宗慈眼寺と称しました。玉川八十八ヶ所霊場37番です。

慈眼寺
慈眼寺の概要
山号 喜楽山
院号 教令院
寺号 慈眼寺
本尊 虚空蔵菩薩
住所 世田谷区瀬田4-10-3
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 玉川八十八ヶ所霊場37番札所、瀬田玉川神社の旧別当



慈眼寺の縁起

慈眼寺は、徳治元年(1306)法印定音が小堂を建てたのを始まりとします。天文2年(1533)長崎四郎左衝門が、この小堂を崖上の当地にうつし真言宗慈眼寺と称しました。

せたがや社寺と史跡による慈眼寺の縁起

喜楽山教令院慈眼寺という。新義真言宗で神奈川県小杉村西明寺の末寺で、京都の醍醐寺派に属する。
徳治元年(1306)法印定音が巡錫の途上、この地を通ったとき里人が滝ケ谷戸崖の中段から降三世明王を発掘したのをゆずりうけ郷士長崎四郎左衛門に告げ、天の奇異なのを思い、定音は小堂を建て、これをおまつりした。たまたま里人が障害をこうむったので再び像を地におさめ代りの像をきざんでおまつりした。里人その像をしたいくる者多く、仏堂(修験所)を改築した。定音は正中元年(1324)8月6日寂となっている。
長崎四郎左衝門(長崎家初代の重光法名、行善の弟)がこの崖下にあった修験所を天文2年栄音外護等信の力をかり、崖の上にうつし、東向7間の堂をたて本尊大日如乗を安置し、慈眼寺と称し、またこの頃、真言宗になったといわれている。
長崎家の系図によると四代の嘉国(四郎衛門尉)がこの寺を修理していることが、記録されているが、なお御嶽権現も鎮座されている。長崎家は菩提所として、行書寺を小田原から移しているので、この寺は、祈願所にあてられた。
明治維新後は、墓所を設定するようになり、現在260位の壇家があり、小説家甲賀三郎の墓がある。
本尊大日如来の木坐像は、嘉永6年(1853年)に大火災にあっている。寺伝に難をさけて来たとあるので確かなものと思われる。寺の過去帳には「花園天皇の御念詞仏を相伝せる祐宣僧正の系統により、当山は永世五七の桐を定紋となすことを知るべし、文化十年三月之を記す」とある。定紋は本堂の屋根の棟につけてある。
なお、本尊の胎内には長崎家の系図があるという。(せたがや社寺と史跡より)


慈眼寺の周辺図


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