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龍雲寺|世田谷区野沢にある臨済宗妙心寺派寺院

龍雲寺の概要

臨済宗妙心寺派寺院の龍雲寺は、大沢山と号します。龍雲寺は、、節外大和尚(特賜大慈妙応禅師)が廃寺となっていた下馬引沢村(下馬)の智見寺を引き継ぐ形で野沢1-51に元禄12年(1699)創建、麻布光林寺の三世霊源蔭和尚(勅謚正偏知覚禅師)が隠居寺として元禄16年に入山、安政の大地震で大破し、安政3年(1856)野沢3-40へ移転、戦後の区画整理により当地へ移転したといいます。

龍雲寺
龍雲寺の概要
山号 大沢山
院号 -
寺号 龍雲寺
住所 世田谷区野沢3-38-1
本尊 如意輪観音坐像
宗派 臨済宗妙心寺派
葬儀・墓地 -
備考 -



龍雲寺の縁起

龍雲寺は、、節外大和尚(特賜大慈妙応禅師)が廃寺となっていた下馬引沢村(下馬)の智見寺を引き継ぐ形で野沢1-51に元禄12年(1699)創建、麻布光林寺の三世霊源蔭和尚(勅謚正偏知覚禅師)が隠居寺として元禄16年に入山、安政の大地震で大破し、安政3年(1856)野沢3-40へ移転、戦後の区画整理により当地へ移転したといいます。

せたがや社寺と史跡による龍雲寺の縁起

臨済宗妙心寺派に属し妙心寺の末、大沢山竜雲寺という。
当寺は環状 7号線の沿線にあったが、昭和初年約200m程奥の当番地へ移築移転した。建物は鉄筋コンクリート平屋建、本堂109.25坪、書院58.03坪、庫裡54.14坪、山門10.45坪、鐘楼7坪がある。
この寺は元禄12年(1699)大法正眼国師盤珪大和尚の法嗣節外大和尚(特賜大慈妙応禅師)が旧野沢1-51 (旭小学校敷地内)に30町歩の寺領を有する大沢山竜雲寺を建て盤珪国師作聖観世音菩薩・八臂弁財天の二仏を安置し住民の信仰の中心とした。
元禄16年9月霊源大和尚(勅謚正偏知覚禅師)は諸堂伽藍を完成したが、安政2年(1855) 10月の大地震のため伽藍は大破し、翌安政3年同町3丁目40番地へ移転した。当時無住のため復興ははかどらず記録はことごとく紛失して荒廃に帰したが、明治38年3月当時の和尚により本堂を建て大正3年3月山門を改築、昭和2年11月書院を増築した。その後町の発展により現在地に移転した。
「新編武蔵風土記稿」によれば「抱地四丁四方許、小名中丸ノ北ニアり、臨済宗京都妙心寺ノ末大沢山ト号ス、開闢ノ来由ヲタヅヌルニ、昔下馬引沢村ニ智見寺トイヘル廃寺ノアリシニ江戸麻布光林寺ノ三世霊源蔭和尚年老テソコニ隠居セリ、木堂七間ニ五間南向本尊如意輪観音坐像木仏ー尺許、麻布光林寺関山(かくばんのばん)慶和尚ノ作ヲ安ゼリ、門南向両柱ノ間九尺鐘楼門ヲ入ツテ右ニアリ、九尺四方、鐘ノワタリ二尺五寸許、長四尺余、銘文考証ニ用ナケレパトラズ、地蔵堂、本堂ニ向イ右ニアリ、ニ間四方南向地蔵菩薩木仏立像長二尺五寸恵心僧都ノ作ナリト云」とある。(せたがや社寺と史跡より)

新編武蔵風土記稿による龍雲寺の縁起

(野沢村)龍雲寺
抱地四丁四方許、小名中丸のノ北にあり、臨済宗京都妙心寺の末大澤山と号す、開闢の来由をたづぬるに、昔下馬引沢村に智見寺といへる廃寺のありしに、江戸麻布光林寺の三世霊源蔭和尚年老てそこに隠居せり、木堂七間に五間南向本尊如意輪観音坐像木仏ー尺許、麻布光林寺関山盤慶和尚の作を安ぜり、門南向両柱の間九尺
鐘楼。門を入て右にあり、九尺四方、鐘のわたり二尺五寸許、長四尺余、銘文考証に用なければとらず。
地蔵堂。本堂に向い右にあり、ニ間四方南向、地蔵菩薩木仏立像長二尺五寸恵心僧都の作なりと云。(新編武蔵風土記より)


龍雲寺の周辺図


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