盧花恒春園|世田谷区粕谷の名所旧跡

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盧花恒春園|徳富蘆花の邸宅跡

盧花恒春園の概要

盧花恒春園は、世田谷区粕谷にある史跡で、徳富蘆花の邸宅跡です。盧花恒春園は、徳富蘆花の死後、愛子夫人が邸地を東京市に公園として昭和12年寄付、文豪の生活を偲ぶ記念の地として、盧花恒春園と名付け一般に公開されたといいます。園内には往時の邸宅が残され公開されています。

盧花恒春園
盧花恒春園の概要
名称 盧花恒春園
みどころ -
区分 史跡・名所
住所 世田谷区粕谷1-20-1
備考 徳富盧花旧宅




盧花恒春園

盧花恒春園は、徳富蘆花の邸宅跡です。盧花恒春園は、徳富蘆花の死後、愛子夫人が邸地を東京市に公園として昭和12年寄付、文豪の生活を偲ぶ記念の地として、盧花恒春園と名付け一般に公開されたといいます。園内には往時の邸宅が残され公開されています。

東京都掲示による盧花恒春園について

盧花、徳富健次郎がこの武蔵野の糀谷の里に移り住んだのは明治40年2月27日、彼が40歳の春であった。以後狩れは、雑木林にかこまれた自然の中で田園生活を楽しみ、数々の名著を残し、昭和2年9月18日療養先の伊香保の地で永遠の眠りについた。盧花の遺骸は、邸前のクヌギ林内に埋葬され、昭和12年6月14日愛子夫人より遺邸のすべてが当時の東京市に公園として寄付された。市は文豪の生活を偲ぶ記念の地として、盧花恒春園と名付け一般に公開してきた。
昭和61年3月10日邸地を当時の姿に復元・保存し永久に子孫に伝えていくために、「東京都指定旧跡」に指定され、現在に至っている。(東京都掲示より)

盧花恒春園の文化財

  • 梅花書屋
  • 下曽根信守墓(粕谷共同墓地内)

梅花書屋

この建物は、盧花が一九〇九年(明治四十二年)三月に松沢町北沢(現、世田谷区)に売家があるとの情報で早速見に行って手付けを渡し、四月二十日に建前を行い、五月三十日に全部終了した。
母屋との間には、踏石を渡って往復した。梅花書屋の名称は、この家に掲げられてある薩摩の書家鮫島白鶴翁(西郷隆盛の書道の師)の筆になる横額によるものであり、この額は盧花の父徳富一敬から譲られたおのである。
梅花書屋の命名以前には、単に「書院」、後には「表書院」とよばれた。
現在ある梅花書屋、秋永書院、母屋をつないでいる廊下は秋永書院完成後につくられたものである。(境内掲示より)

粕谷共同墓地内の下曽根信守墓について

明治四十年(一九〇七)、盧花はこの墓地の西側に移り住みました。
「みみずのたはごと 墓守」に
【彼(盧花)は粕谷の墓守である
彼が家の一番近い隣は墓場である。門から唯三十歩、南へ下ると最早墓地だ。誰が命じたのでもない、誰に頼まれたのでもないが、家の位置が彼を粕谷の墓守にした。】
と書いています。これが粕谷の共同墓地で「粕谷の十六戸」の共同所有地になっています。
盧花も永代所有権を買って、「粕谷の土」になると決め、現在ここに埋葬されています。
盧花が千歳村粕谷での田舎住居をはじめるきっかけとなった千歳教会堂に勤めた下曽根信守牧師も、ここ共同墓地に埋葬されました。
下曽根牧師は、調布町布田の布教所時代より千歳村の人々の信頼が厚く、最後は皆に看取られました。盧花も「みみずのたはごと 読者に」の中で下曽根牧師への追悼を述べています。墓石の裏には略歴が彫り込まれています。(世田谷区教育委員会掲示より)


盧花恒春園の周辺図