塚越稲荷神社。蕨市塚越の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

塚越稲荷神社。出家僧が築いた経塚上に鎮座

塚越稲荷神社の概要

塚越稲荷神社は、蕨市塚越にある神社です。塚越稲荷神社の創建年代は不詳ですが、明応年間(1492ー1501)の創建とも貞享元年(1684)の創建ともいいます。当社社殿の鎮座する丘は、経塚と言い、玄快という廻国の沙門(出家僧)が伏見稲荷に参籠の折、お告げにより当地に法華経一万部を埋納した経塚を築いたもので、この塚より塚腰(塚越)の地名の由来となったといいます。明治4年村社に列格、明治45年には字仁中歩の菅原神社を当社天神社に合祀しています。

塚越稲荷神社
塚越稲荷神社の概要
社号 稲荷社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 機神社、天神社
祭日 -
住所 蕨市塚越3-2-19
備考 -



塚越稲荷神社の由緒

塚越稲荷神社の創建年代は不詳ですが、明応年間(1492ー1501)の創建とも貞享元年(1684)の創建ともいいます。当社社殿の鎮座する丘は、経塚と言い、玄快という廻国の沙門(出家僧)が伏見稲荷に参籠の折、お告げにより当地に法華経一万部を埋納した経塚を築いたもので、この塚より塚腰(塚越)の地名の由来となったといいます。明治4年村社に列格、明治45年には字仁中歩の菅原神社を当社天神社に合祀しています。

新編武蔵風土記稿による塚越稲荷神社の由緒

稲(塚越村)稲荷社
前に云経塚の上にあり、村内の鎮守三社の一なり塚の高さ二丈餘、径十二三間、松杉など繁茂せしさまいかにも古塚と見ゆ
末社。
天神社。吾妻社。稲荷社二宇。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県神社庁「埼玉の神社」による塚越稲荷神社の由緒

昔、玄快という廻国の沙門(出家僧)が伏見稲荷に参籠の折、お告げを受け、関東へ下り当地に法華経一万部を埋納した経塚を築いた。これにより当地は、経塚腰村と呼ばれたが、いつしか現在の塚越と呼ぶようになったという。
当社はこの高さ四メートルほどもある経塚の上に建てられている。その創建年代には二説あり、「明細帳」では、土地の言い伝えとして明応年間(一四九二ー一五〇一)と記し、「郡村誌」では、貞享元年(一六八四)九月のこととしている。更に、社蔵の文化五年(一八〇八)の稲荷社神輿造営棟札には、往昔、川蔦藤左衛門尉藤原忠勝が当社を勧請したと記している。また、口碑では、勧請の折には白馬二頭を仕立てて伏見稲荷より神霊(倉稲魂命)を迎えたと伝えている。
本殿には「正一位稲荷大明神」と墨書のある神璽筥と神祇管領吉田家から受けた幣帛筥が奉安される。社殿は、安政五年(一八五八)に焼失、翌六年に再建されたものである。
また、江戸期は、真言宗稲荷山定正寺が別当として当社の社務に当たっていた。定正寺は明治四年に廃寺となったが、寺持ちの観音堂はそのまま残され、本堂跡には現在、塚越稲荷神社会館が建っている。
当社の境内には古くから天神社(天満宮)と機神社が祀られているが、天神社には明治四十五年に字仁中歩の菅原神社が合祀されている。(埼玉県神社庁「埼玉の神社」より)


塚越稲荷神社所蔵の文化財

  • 猿田彦大神碑(市指定有形文化財)
  • 塚越稲荷神社本殿(市指定有形文化財)
  • 高橋新五郎遺跡(市指定有形文化財)

猿田彦大神碑

稲荷神社木造三十番神立像
この石造物は、碑の部分正面上部に、瑞雲を伴う日月が、線刻されており、各面に紀年銘及び、道しるべの刻銘がされている。
材料は安山岩である。
猿田彦大神は、天孫降臨に際し、道案内をした神として神話に登場するが、さいの神、ちまたの神、あるいは道祖神とされている。
もともと近くの道ばたにあったものといわれ、庚申信仰に基づいて造立されたものと思われる。(蕨市教育委員会掲示より)

塚越稲荷神社本殿

この覆屋に納められている建物は、塚越村大荒田の鎮守であった稲荷社の本殿です。
一間社流造で、身舎(母屋)の幅〇・九m、奥行〇・七七m、向拝(庇)〇・七五m、屋根はこけら葺きとなっております。蟇股・虹梁・肘木などの形から本殿の建物は、十八世紀後半と考えられます。
この本殿は、向拝柱に禅宗様が取り入れられるなど細部の装飾にも特徴があり、覆屋に納められているため保存状態も良く、本市及びその周辺の神社本殿建築の流れを知るうえで欠くことのできない貴重な建物です。(蕨市教育委員会掲示より)

高橋新五郎遺跡

この遺跡は「機神社」「はた神さま」とも呼ばれ、二代目高橋新五郎とその妻いせ、そして新五郎の信仰した関東宮が合祀されたものです。
高橋新五郎は寛政三年(一七九一年)に生まれ、糸綿商の父の後を継ぎ、青梅、足利地方を往来するうちに、織物の生産を決意し、従来の「たかばた」に改良を加えました。この織機は後に高橋家の屋号「あずまや」から「あずまやたかばた」と呼ばれ、広く機業家に普及しました。文政八年(一八二五年)頃、この織機を使って「青縞」の生産を行い、さらに品質の向上をはかったので、当時の江戸の市場を圧倒する人気を得ました。
この業績をたたえ後世の人々が「はた神さま」として祀り、毎年八月には新五郎の創業の日を記念し、「わらび機まつり」が行われています。(蕨市教育委員会掲示より)


塚越稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿