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坂之下天神社。所沢市坂之下の神社

坂之下天神社の概要

坂之下天神社は、所沢市坂之下にある天神社です。坂之下天神社の創建年代等は不詳ながら、当地の治水開発の守護神として水神が祀られたと言われ、その後天神が合祀したのだといいます。明治5年村社に列格、明治40年字丸久保の神明社、字折口の熊野社、字上と字稲荷下の稲荷社を境内に合祀、明治45年村社に指定されたといいます。

坂之下天神社
坂之下天神社の概要
社号 天神社
祭神 菅原道真
相殿 -
境内社 神明社、熊野社、稲荷社、氷川社、御嶽社
祭日 -
住所 所沢市坂之下64
備考 -



坂之下天神社の由緒

坂之下天神社の創建年代等は不詳ながら、当地の治水開発の守護神として水神が祀られたと言われ、その後天神が合祀したのだといいます。明治5年村社に列格、明治40年字丸久保の神明社、字折口の熊野社、字上と字稲荷下の稲荷社を境内に合祀、明治45年村社に指定されたといいます。

新編武蔵風土記稿による坂之下天神社の由緒

(坂下村)天神社
村の鎮守なり、大學院の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による坂之下天神社の由緒

天神社<所沢市坂之下六四(坂之下字若水)>
鎮座地坂之下は、所沢市の東端に位置している。このあたりの地勢は、武蔵野台地の西方から荒川に向けて緩やかな坂となっているが、この坂は当地に至り、やや平坦な地となるので、西から見て当地を坂之下というのである。
口碑によると、当社は元来、水神を祀っていたが、いつのころか天神が合祀され、やがて水神のことが忘れられたのだという。この水神は、当地の開墾に際し、治水開発の守護神として祀られたものと考えられる。その後、当社は、天明年間のころ地滑りによって裏山から流れ落ちたといわれ、現本殿は嘉永年間の建立であり、明治末期には金子家の屋敷内にあった社殿を移築し拝殿とした。昭和五八年に覆屋と拝殿が新築された。
明治五年村社となり、同四〇年字丸久保の神明社、字折口の熊野社、字上と字稲荷下の稲荷社を境内に合祀し、同四五年指定村社となる。
祭神は菅原道真公であるが、八意思兼命ともいう。古くは田中天満宮と称し、また天満宮とのみ称していた時代もあった。
当社に代々奉仕している金子家は、明治以前は本山派修験梅林山大学院と称し、別当として当社を管理していた。この大学院は、富士見市南畑にあった十玉院、及び万蔵院の末と伝えられる。しかし、当社及び大学院の創建年代は不詳である。(「埼玉の神社」より)


坂之下天神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)