歓喜院。熊谷市妻沼にある高野山真言宗の寺院、準別格本山、妻沼聖天
歓喜院の概要
高野山真言宗の歓喜院は、聖天山と号します。長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされています。次いで、斉藤実盛の次男六実長が出家して建久8年(1197)に本坊の歓喜院を開創しました。高野山準別格本山、関東八十八ヶ所霊場88番結願所、関東三十三番観音霊場16番札所、幡羅八十八箇所霊場13番札所、武州路十二支霊場午歳札所、関東三聖天で、本殿(聖天堂)、貴惣門など国指定重要文化財が数多くあります。
| 山号 | 聖天山 |
|---|---|
| 院号 | 歓喜院 |
| 寺号 | - |
| 住所 | 熊谷市妻沼1627 |
| 宗派 | 高野山真言宗 |
| 葬儀・墓地 | - |
| 備考 | 妻沼聖天、関東準別格本山、関東八十八ヶ所霊場88番結願所、関東三十三番観音霊場16番札所、幡羅八十八箇所霊場13番札所、武州路十二支霊場午歳札所 |
歓喜院の縁起
聖天山歓喜院は、長井庄(熊谷市妻沼)を本拠とした武将齋藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天宮を建立し、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされています。次いで、斉藤実盛の次男六実長が出家して建久8年(1197)に本坊の歓喜院を開創しました。
聖天山は平家物語、保元物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に勝れた義理人情に厚い人柄が称えられている、斉藤別当実盛公が、当地の庄司として、祖先伝来のご本尊聖天さまを治承3年(1179)にお祀りしたのに創まる。次いで実盛公の次男斉藤六実長が出家して阿請房良応となり建久8年(1197)に本坊の歓喜院を開創した。
ご本尊聖天さまは、正しくは大聖歓喜天と称せられ、弘法大師が唐より密教とともに仏法の守護神として請来されてから、日本でも祀られ、福運厄除の神として信仰されている。
ご本尊は錫杖の中央に祀られているので御正体錫杖頭として国指定重要文化財であるが、秘仏である。
妻沼聖天さまは日本三大聖天さまの一つとして知られ、特に縁結びの霊験あらたかで、夫婦の縁はもちろんのこと、家内安全、商売繁盛、厄除け開運、交通安全、学業進学などのあらゆる良縁を結んでいただけるので、祈願を籠める人々が後を断たない。(聖天山案内より)
歓喜院にある文化財
- 歓喜院貴惣門(国指定重要文化財、嘉永4年1851年竣工)
- 御正体錫杖頭(本尊)(国指定重要文化財)
- 歓喜院本殿(国指定重要文化財)
- 板石塔婆「善光寺式三尊像板碑」(埼玉県指定文化財)
- 鰐口(埼玉県指定文化財)
- 紵糸斗帳(埼玉県指定文化財)
- 歓喜院四脚門(中門)(熊谷市指定文化財)
歓喜院貴惣門
当山第一の山門で高さ16m、重層の特徴ある三破風を組合せ豪壮な構造美は全国に類例が少ない。精巧な彫刻で周囲を飾り、ニ天王像(持国天・多聞天)を左右に安置。嘉永4年(1851)竣工、棟梁は当町工匠正道である。昭和62年屋根改修
板石塔婆「善光寺式三尊像板碑」
表面の主尊に、阿弥陀如来、脇侍に観音、勢至両菩薩を半浮き彫りにし、光背部に七化仏を配した所謂「善光寺式三尊板碑」で通称「ひら仏」と呼ばれている。 裏面には釈迦如来と文殊・普賢の両菩薩の種子が刻まれている。 紀年銘は無いが、鎌倉時代のものである。 この板碑はかつで妻沼小学校の敷地(もと大我井森)にあったが昭和30年12月、校舎増築のため現在地に移転したものである。高さ178cm。幅59cm。(熊谷市教育委員会掲示より)
歓喜院四脚門(中門)
懸魚の模様等に室町期の特徴をよく残し、寛文の大火で唯一残り聖天山の建造物群の中でも最古のものと言われる。
平成2年の解体処理により瓦葺きの屋根を銅板葺き替えたが、柱に明治43年(1910)大洪水の痕跡を残す。
里人はこの門を甚五郎門と称している。(熊谷市教育委員会掲示より)
歓喜院の周辺図
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歓喜院参道
歓喜院中門
歓喜院仁王門
歓喜院仮本殿
歓喜院大師堂
歓喜院平和の塔
歓喜院鐘楼
歓喜院護摩堂
歓喜院板碑
歓喜院本坊山門
歓喜院本坊本堂