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川崎稲荷神社。八潮市南川崎の神社

川崎稲荷神社の概要

川崎稲荷神社は、八潮市南川崎にある稲荷神社です。川崎稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代に当地川崎村の名主を務めた野口家が天正末年(1592)に移住してきたといい、また当社の別当を務めていた円楽寺の開山が乗誉(元和8年1622年寂)であることから、江戸時代初期の創建と推定でき、江戸時代には川崎村の鎮守社となっていました。明治4年村社に列格、昭和初期に字八反野の山王社(現八潮第二小学校校庭内)を境内に遷座したといいます。

川崎稲荷神社
川崎稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂神、豊受姫之命
相殿 -
境内社 山王権現、水神
祭日 -
住所 八潮市南川崎766-1
備考 -



川崎稲荷神社の由緒

川崎稲荷神社の創建年代は不詳ですが、江戸時代に当地川崎村の名主を務めた野口家が天正末年(1592)に移住してきたといい、また当社の別当を務めていた円楽寺の開山が乗誉(元和8年1622年寂)であることから、江戸時代初期の創建と推定でき、江戸時代には川崎村の鎮守社となっていました。明治4年村社に列格、昭和初期に字八反野の山王社(現八潮第二小学校校庭内)を境内に遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による川崎稲荷神社の由緒

(川崎村)
稲荷社
村の鎮守、圓榮寺持。
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山王社
持同じ(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による川崎稲荷神社の由緒

稲荷神社<八潮市南川崎七六六-一(南川崎字根通)>
鎮座地の南川崎は、元は川崎村といい、中川の流れが大きく湾曲する右岸に沿って位置する。当村の名主を務めた野口家は、岩付城主太田氏房の旧臣で、天正末年(一五九二)に当地に住したという。
当社は、明和五年(一七六八)の「川崎村村鑑」(専称寺文書)に「稲荷明神社 右社地境内凡弐畝歩程、川崎村起立より村方惣鎮主ニ而地面御水帳ニ入申候、帳外二御座候」と記されている。また、口碑によれば、村民二四戸のころから鎮守として祀っていたという。ちなみに「村鑑」には「家数五拾九軒」と見える。
本殿には、元禄十年(一六九七)に神祇管領吉田家から大明神号を受けた際の宗源宣旨、宝永六年(一七〇九)に同じく正一位の神位を受けた際の幣帛・宗源宣旨及び同祝詞、文化元年(一八〇四)に本殿を再建した際の棟札、荼キ尼天像、白蛇のミイラなどが安置されている。このうち白蛇のミイラについては、それを納めた厨子に「鎮守川崎稲荷大明神青龍御真躰 明治壬申年(一八七二)六月廿日御本社自出現癸酉年三月御内陣玉寄附氏子連名(五四名連名)」とある。
『風土記稿』川崎村の項には「稲荷社 村の鎮守、円楽寺持」とある。別当の円楽寺は天台宗の寺院で、開山乗誉が元和八年(一六二二)に寂したという。神仏分離を経て、当社は明治四年に村社となった。(「埼玉の神社」より)

境内石碑による川崎稲荷神社の由緒

神社の創建は不詳であるが、史料によると江戸時代伏見稲荷大社の御分社として元禄十五年(一七〇二)十二月に勧請された。其の後宝永六年(一七〇九年)八月に神祇官より正一位稲荷大明神の宣授を受ける。文化元年(一阿智〇四年)二月に本殿拝殿を併合した新社殿が再建された。其の後明治維新に至り神仏分離令により明治四年(一八七一年)四月川崎村の村社となる。大正六年(一九一七年)茅葺屋根を瓦屋根に改築された。時を経て昭和四十五年(一九七〇年)社殿の老朽化により拝殿本殿を併合した入母屋造りの新社殿が再建された。その後平成六年(一九九四年)十月十八日夜半不慮の災火により拝殿及び本殿を小差逸、神社総代及び氏子一同建設委員会を組織し奉賛金により平成八年(一九九六年)五月に新社殿が竣工し同年五月十八日稲荷神社宮司祭主となり盛大な遷宮祭が執行された。(境内石碑より)


川崎稲荷神社の周辺図


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