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垳稲荷神社。八潮市垳の神社

垳稲荷神社の概要

垳稲荷神社は、八潮市垳にある稲荷神社です。垳稲荷神社の創建年代は不詳ですが、垳村の鎮守社であったといいます。

垳稲荷神社
垳稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇賀之御魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 八潮市垳116-1
備考 -



垳稲荷神社の由緒

垳稲荷神社の創建年代は不詳ですが、垳村の鎮守社であったといいます。

新編武蔵風土記稿による垳稲荷神社の由緒

(垳村)稲荷社
村の鎮守にて、浮塚村大聖寺の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による垳稲荷神社の由緒

稲荷神社<八潮市垳一一六ー一(垳字用水東通)>
桁は、古綾瀬川(桁川)の左岸の沖積地に位置し、その地名は「みずかけ」「はけ」の転靴と伝えられる。当社は、この桁の鎮守として祀られてきた神社であり、『風土記稿』桁村の項には「稲荷社 村の鎮守にて、浮塚村大聖寺の持なり」と載ることから、江戸時代には隣接する浮塚村の大正寺が祭祀や管理に携わっていたことがわかる。
口碑によれば当社は、京都の伏見稲荷大社の分霊を勧請したものであるといい、このことは内陣に伏見稲荷大社から発給された「正一位稲荷大明神」の神璽筥が納められていることによって裏付けられる。
この神璽筥の底部には「奉安鎮明和九年(一七七二)正月城州(山城国、現京都府)紀伊郡稲荷本宮社務神主従三位秦親盛」との墨書があるが、これは伏見稲荷大社からの正式な分霊の勧請を示すもので実際にはそれよりも前から当社が鎮守として祀られていたと思われる。恐らくは、桁が村として安定してきたこの時期に、村にふさわしい鎮守をと願って伏見稲荷大社の分霊を勧請したものであろう。
大正十二年九月一日、関東大震災によって、当社は社殿が全壊、鳥居一基が倒壊するという甚大な被害を受けた。同年十月三日付の「潮止月報」によれば、この損害見積額は一九五〇円という、当時としては莫大な額であった。しかし、氏子一同は一致協力して再建に努め、同十五年五月には本殿を惨復すると共に拝殿を再建した。(「埼玉の神社」より)


垳稲荷神社の周辺図


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