青柳久伊豆神社。草加市青柳の神社

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青柳久伊豆神社。埼玉郡青柳村北部の上・出戸・根郷の鎮守

青柳久伊豆神社の概要

青柳久伊豆神社は、草加市青柳にある久伊豆神社です。青柳久伊豆神社の創建年代は不詳ですが、埼玉郡青柳村北部の上・出戸・根郷の鎮守であったといいます。

青柳久伊豆神社
青柳久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 八坂神社、稲荷神社
祭日 -
住所 草加市青柳4-20-1
備考 -



青柳久伊豆神社の由緒

青柳久伊豆神社の創建年代は不詳ですが、埼玉郡青柳村北部の上・出戸・根郷の鎮守であったといいます。

新編武蔵風土記稿による青柳久伊豆神社の由緒

(青柳村)久伊豆社
村の鎮守なり、東覚寺・三蔵院(註:現三覚院)両寺の持なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による青柳久伊豆神社の由緒

青柳は、古綾瀬川左岸に位置する農業地域であり、葛西用水と古綾瀬川に沿って集落が形成されてきた。その地内は、ほぼ東京外環自動車道を境に南北に二分されるが、北部の上・出戸・根郷では当社を鎮守として祀り、南部の志茂と山谷では妙見社(神仏分離により八幡神社と改称)を鎮守として祀ってきた。
社掌の青木秀雄の記した「傍證」と題する書き上げによれば、当社は正保元年(一六四四)三月二十八日の創立で、享保十一年(一七二六)四月十五日に神祇管領吉田家から宗源宣旨を受け、延享三年(一七四六)には社殿を再建した。また、天明八年(一七八八)には屋根普請を行ったが氏子らから寄進された七五三六文の営繕費に三八〇文の残金が出たため、これを祭典費に回したという。このほか、当社には「延宝九辛酉天(一六八一)十月吉日」銘の鰐ロがあり、社宝とされている。実際は、延宝九年は九月までしかないが、これは改元が決まる前に鋳造が始められ、訂正が及ばなかったためであろう。
『風土記稿』青柳村の項に「久伊豆社村の鎮守なり、東覚寺三蔵院両寺の持なり」と記されているように、江戸時代は真言宗の東覚寺と三蔵院が別当であった。神仏分離の後はその管理を離れ、明治三十年に本殿と拝殿を改築した。しかし、それも傷みが進んだため、昭和四十九年に再度社殿の改築が施され、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)


青柳久伊豆神社の周辺図