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泉藏院。入間市南峯にある真言宗豊山派寺院

泉藏院の概要

真言宗豊山派寺院の泉藏院は、金峯山高福寺と号します。泉藏院の創建年代等は不詳ながら、鎌倉幕府開府前後に不動明王を安置して創始したともいい、秀尊(貞元2年977年寂?)が堂宇を整備して天文年間(1532-1555)に一寺となしたともいいます。慶安2年(1649)には徳川家光より寺領2石の御朱印状を拝領したといいます。

泉藏院
泉藏院の概要
山号 金峯山
院号 泉藏院
寺号 高福寺
住所 入間市南峯76
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 -



泉藏院の縁起

泉藏院の創建年代等は不詳ながら、鎌倉幕府開府前後に不動明王を安置して創始したともいい、秀尊(貞元2年977年寂?)が堂宇を整備して天文年間(1532-1555)に一寺となしたともいいます。慶安2年(1649)には徳川家光より寺領2石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による泉藏院の縁起

(峰村)泉藏院
御朱印二石、新義真言宗、多磨郡鹽船村鹽船寺の末、金峯山高福寺と號す、開山は秀尊貞元二年二月三日示寂す、本尊は不動を安ず。
蔵王権現社。 (新編武蔵風土記稿より)

境内石碑による泉藏院の縁起

泉蔵院ノ由緒沿革概要
本院ノ創立年號ハ記録乏シキ爲詳カナラザルモ傳説ニ曰ク人皇八十二代後鳥羽天皇ノ建久年間今ヨリ約七百五十六年前紀元千八百五十二年鎌倉幕府創始時代ニシテ建久三年源頼朝公ガ征夷大将軍トナリタルノ前後ノ頃ナランニ郷民擧テ堂宇ヲ建設シ不動明王ノ像ヲ安置ス(現在本院ノ本尊)信徒ハ群衆シ鎌倉時代ヨリ堂領トシテ若干ノ地ヲ寄進セラレシト云フ而シテ其ノ後八十九年ヲ経テ将軍北條時宗ノ時元寇ノ乱アリ尚ホ百五十年ヲ経テ室町幕府ノ足利義持ノ時金閣寺ノ創立を見夫レヨリ百七十年ノ後足利義政ノ時應仁ノ乱アリ其後百二十年ノ経テ足利義尚将軍ノ時銀閣寺ノ設立ヲ見タル如キハ本院創立後實二百九十年後ナルヲ想ヒ起シテモ如何ニ古クシテ由緒深キカヲ知ルモノナリ加フルニ百十代後光明天皇ノ朝今ヨリ二百九十八年前時ノ江戸幕府徳川三代将軍家光光ヨリ御朱印文ヲ拝領シ古来堂領ナリシコトヲ證スルニ足ルモノナリ。大猶院朱印ノ文ニ曰ク「武蔵國入間郡峯村泉蔵院不動領同所ノ内拾二石事任先規寄附ノ事全可収納並寺中門前山林竹木諸役免除如有来永不可有相違者也 慶安二年八月二十四日」トアリ。
猶當院創立後建武中興時代吉野朝時代ヲ経室町義晴将軍ノ紀元二千二百三年人皇百五代後奈良天皇ノ天文年間今ヲ去ル四百十四年前時ノ法僧秀尊上人ナルモノ右不動堂ヲ改修して本堂ヲ為シ庫裏ヲ増築シテ泉蔵院ト改メ一寺ニ列ス此ノ前後ニ於テハ天文十二年葡萄牙人種手島ニ漂着鉄砲ヲ傳ヘタリト云フ。
其ノ後天和二年人皇百十一代霊元天皇ノ御代紀元二千三百四十一年今ヨリ二百六十六年前江戸幕府五代将軍徳川綱吉公ノ時代ニ智積住持比丘僧正泊如運敞法印ノ書キタル過去帳アリ是等ニ由リテモ古キヲ知ルヲ得ルナリ。
其ノ後百拾三代東山天皇ノ元禄年間紀元二千三百四十八年當院十五世ノ僧智真ナル者今ヨリ凡ソ二百五十八年以前以前武蔵国塩舩村塩舩寺宜海法師ニ從ヒ報恩院良淳僧正ノ法流ヲ汲ミ末寺ト爲ル。
人皇百十八代後桃園天皇ノ御代紀元二千四百三十二年今日ヨリ百七十五年前時ノ十代将軍徳川家治ノ安永八年十一月當院檀信徒ヨリ永代納付物ノ記録ヲ存ス。
更ニ紀元二千四百五十二年今ヨリ百五十五年前人皇百拾九代光格天皇ノ寛政年間時ノ十一代将軍徳川家斉ノ時當時ノ僧敞海ナル者雷電神主略縁記ヲ印刻シ弘ク参詣者ニ頒布シ當郷ノ守護神タルヲ示シ雷電神主ノ祭詞ヲ毎年二月廿日ニ行フト明記シアリ。
當院住職ハ今ヨリ八十五年前人皇百二十一代孝明天皇ノ文久二年徳川十四代将軍家茂ノ時法印永興ニ至ル迄實ニ法流二十三世連綿タリシモ其ノ後ハ無住ニシテ現在ニ至レリ。(境内石碑より)


泉藏院の周辺図