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天満天神社(入間川)。狭山市入間川の神社

天満天神社(入間川)の概要

天満天神社(入間川)は、狭山市入間川にある天満天神社(入間川)です。天満天神社(入間川)は、江戸期に木材物流で栄えた当地の商家が学芸の向上を願って天満天神の杜を勧請したといいます。

天満天神社(入間川)
天満天神社(入間川)の概要
社号 天満天神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 -
住所 狭山市入間川2-21-25
祭日 -
備考 -



天満天神社(入間川)の由緒

天満天神社(入間川)は、江戸期に木材物流で栄えた当地の商家が学芸の向上を願って天満天神の杜を勧請したといいます。

新編武蔵風土記稿による天満天神社(入間川)の由緒

(入間川村附新田)天神社
神體坐像なり。村持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による天満天神社(入間川)の由緒

天満天神社(狭山市入間川二-二一-二五)入間川字菅原
当地の氏子は古くから商家と農家に分かれ、商家は殊に繁栄した。これは、江戸時代から明治中期にかけて入間川を利用した西川材搬出の筏流しが当地に一泊したり、取り引きの江戸商人が逗留し、宿屋や遊廓などに金が落ちたことによる。入間川はこのあたりで広瀬となり、筏を休めるには都合がよかったという。また、大正期には鉄道も敷かれ飯能・青梅と結んだ木材の問屋街の出現をも見たのである。
当社はこの町の中心地に鎮座し、口碑によると、当地は古くから経済的に恵まれ、文化面に興味を示したところから、学芸の向上を願って天満天神の杜を勧請したと伝えている。祭神は菅原道真公で、『風土記稿』には神体座像なりとあるが、現在は白幣を祀っている。
菅公が平安時代に天満天神として信仰されたのは、怨霊を慰めて天災や疫病を避けるものであったが、次第に菅公生前の人格や学識に対して起こった学問の神の信仰となっていった。当社は、古くから多くの物資・文化が流入する土地柄で農業や商業を営む氏子たちが日常生活に必要な読み書きを習う以上に、芸術の薫りを求めたことによって勧請されたのであろう。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による天満天神社(入間川)の由緒

当神社の建立年代は明らかではない。先年までの社殿は、文久二年(一八六二)に改築されたものであったが、昭和三十七年三月二十五日新築した。
祭神は京都北野神社福岡県太宰府天満宮より道真公の分霊を鎮祭する。
新編武蔵風土記稿に「神體坐像なり」とあり、もとは御神像があったと考えられるが、現在は神のご幣のみである。
当社の管理は新編武蔵風土記稿に「村持」とあり、天神組、下組、新田組の三組の氏子によって行われてきたが、天神社があるところから、この地域が菅原町と総称されるようになり、昭和十五年町内会の創設によって天神組が菅原一丁目、下組が二丁目、新田組が三丁目と改称された。(境内掲示より)


天満天神社(入間川)の周辺図