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国渭地祇神社。坂戸市森戸の神社、旧村社

国渭地祇神社の概要

国渭地祇神社は、坂戸市森戸にある神社です。国渭地祇神社の創建年代等は不詳ながら、延暦年間に坂上田村麻呂が東征の帰途に社殿を造立したとも、奥州藤原秀衡が創建したとも伝えられます。社号は国一熊野大権現が国渭地祇に訛ったのではないかといい、江戸期には熊野社と称し、慶安2年(1649)江戸幕府より社領10石の御朱印状を拝領、森戸村の鎮守社だったといいます。

国渭地祇神社
国渭地祇神社の概要
社号 国渭地祇神社
祭神 -
相殿 -
境内社 八幡社、秋葉社
祭日 -
住所 坂戸市森戸616
備考 -



国渭地祇神社の由緒

国渭地祇神社の創建年代等は不詳ながら、延暦年間に坂上田村麻呂が東征の帰途に社殿を造立したとも、奥州藤原秀衡が創建したとも伝えられます。社号は国一熊野大権現が国渭地祇に訛ったのではないかといい、江戸期には熊野社と称し、慶安2年(1649)江戸幕府より社領10石の御朱印状を拝領、森戸村の鎮守社だったといいます。

新編武蔵風土記稿による国渭地祇神社の由緒

(森戸村)熊野社
當村の鎮守なり、慶安二年社領十石の御朱印を賜り、鎮守府将軍秀衡の勧請なりと傳るのみにて、證すべき記録もなければ信ずるに足らず、鳥居の前に一條の往来あり、往古は此街道を隔てて西に鳥居ありし由、今もそこを字して鳥居を云、往来北の方市場村より入、高麗川を渡て社の前に至れり、當村と四日市場村の間を過て、高麗郡中新田に貫けり、鎌倉古街道なりといへり。
末社。疱瘡神社、三島社、石尊社、秋葉社。
観音堂。
別當大徳院。三宮山と號す、本山修験山本坊の配下本尊不動を安ず、開山権律師月證と云、寂年は傳へず、されど本社の傍に觀應二年辛卯三月三日、右志者大檀那當住権律師月證逆修願予普及及法界自陀冏證無上菩提沙彌道妙彌尼妙安敬白と彫たる碑を建つ、此の月證當院の草創ならんには開山の年歴も推考すべし。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による国渭地祇神社の由緒

国渭地祇神社<坂戸市森戸六一六(森戸字宿頭)>
当村は高麗川の南岸に位置する。ここは川沿いが低地で、南に行くほどゆるやかに台地上になっていく。
当社はこの村の鎮守として鎮座し、社前の往来は旧鎌倉街道であると伝える。社名は「クニイチギ」と読み、これはおそらく水と関係あるものといわれる。延喜式内社国渭地祇神社の伝承地については、従来、所沢市北野字吉野に鎮座する北野天神社であることが定説となっている。しかし、当社の社地から鎌倉期と思われる古瓦が出土していることや、樹相が古いということを考えると、古社であることはまちがいない。
もと、当社は国一熊野大権現と称していた。この社名の国一は美称で、国で一番すばらしい社であるという意味が込められ、これが後に国渭地祇に転化されたものと思われる。このため社の創立は、越生の本山派修験山本坊と直接結びついていた別当三宮山大徳院の活動にかかわるものではないかと考えられる。
社記には、延暦年中、坂上田村麻呂が東征の帰途、報賽のため社殿を再営し、下って奥州藤原秀衡が再建したと伝えている。更に、延徳年中にも拝殿が再営されている。
また、建暦元年から建保五年にわたって書き写された大般若経と慶応二年三月五日鋳造の本地仏があったが兵火により失っている。(「埼玉の神社」より)


国渭地祇神社所蔵の文化財

  • 森戸の獅子舞(坂戸市指定無形民俗文化財)

森戸の獅子舞

秋になると豊年を祝う獅子舞が、市内の各地で行われます。竹で作った「ささら」と呼ばれる楽器を使って獅子舞を踊るので、「ささら舞」とも言われ、昔から地元の人々によって受継がれてきました。
森戸の獅子舞は、江戸時代に始まったと伝えられ、国渭地祇神社と周辺の神社のお祭りに舞われます。
獅子は悪霊払いの霊獣として崇められ、古来、祭りの主役として、獅子舞が全国各地で行われてきました。森戸の獅子舞は、江戸時代の安永六年(一七七七年)に始まったと伝わっていますが、記録などは残っていません。国渭地祇神社と周辺の神社へ、毎年十月十五日に奉納されます。
獅子舞の演者は、雄獅子、雌獅子、中獅子の三頭で、これに山の神の天狗、軍配を振って舞いを盛り上げる配追い、花笠をかぶったささら子、これにほら貝、笛吹き、唄うたいが加わります。演目は「すり違い」、「竿がかり、「花すい」、「秋葉社の舞」、「宮まいり」があります。
獅子舞の当日は、ほら貝の合図で社殿を一周する「宮まいり」から始まり、境内で「すり違い」を舞います。四日市場、森戸の秋葉社へ行列を組んで行き、それぞれの神社に舞を奉納します。神社への行き来の間、国渭地祇神社の境内にもどり、「竿かがり」を舞い、最後に神社境内で「花すい」を奉納して舞納めとなります。行列の先頭を行く万燈には、天下泰平、五穀豊穣、風雨順調、氏子繁昌との願いが記されています。
祭の当日に立てられるのぼり旗の文字は、巌谷修(児童文学者巌谷小波の父)の書によるものです。(坂戸市教育委員会掲示より)

国渭地祇神社の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)