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宝積寺。さいたま市見沼区深作にある曹洞宗寺院

宝積寺の概要

曹洞宗寺院の宝積寺は、深作山延命院と号します。宝積寺は、密庵俊茂が開基、實州参和尚(寛永6年1629年寂)が開山したといいます。新秩父三十四ヶ所霊場29番です。

宝積寺
宝積寺の概要
山号 深作山
院号 延命院
寺号 宝積寺
住所 さいたま市見沼区深作1-155
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



宝積寺の縁起

宝積寺は、密庵俊茂が開基、實州参和尚(寛永6年1629年寂)が開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による宝積寺の縁起

(深作村)寶積寺
曹洞宗、大成村普門院末、深作山延命院と號す、本尊は延命地蔵なり、開山實州参和尚は寛永六年四月廿五日寂す、開基は密庵俊茂寂年を失す、境内に八木橋大膳と云ものの墓あり、碑面に大住院法庵全昌居士、天正十八年五月廿三日と彫れり、この墓もとは本山の境内にありしを、後此地へ改葬せしと云、この大膳は名主惣吉の先祖にて、下總國八木橋村の人なれば、在名を以て己が氏とし、太田十郎氏房に仕へ、當所を領し、天正十八年北條氏沒落の時岩槻城に籠城せしに、彼城落城の後比企郡松山の城に籠りて同年五月廿三日討死せり、其子七兵衛政重實は、忍の城主成田下總守の弟梅庵の子なるよし、子孫惣吉が家に傳ふれど、政重の子七兵衛吉次の弟、故ありて家系感状等を周防國へ持行たれば、詳なることは傳へずと云、しかのみならずかの大膳のことは世に傳はらず、且成田系圖に下總守の弟梅庵と云人も見えざれば、家傳も信用すべからず、今の惣吉まで九代に及ぶといふ。(新編武蔵風土記稿より)


宝積寺所蔵の文化財

  • 宝積寺板石塔婆(市指定文化財)

萬年寺木造釋迦如来坐像

板石塔婆は供養のため造立された卒塔婆の一種で、市内では大小千二百基余り(県下一の基数)確認されていますが、これは大日堂板石塔婆(天沼町)に次いで市内二番目の大きさです。以前は近くの路傍に建てられていましたが、管理保存のため当寺へ移したものです。
石材は緑泥片岩で、塔身部上部に五点具足のアーンク(梵字の胎蔵界大日如来)を薬研彫りし、その下に造立趣旨が刻まれています。
これによると、貞和三年(一三四七)十一月九日に、□□阿闍梨という僧が母親の三十三回忌の供養として造立したことや、「青石一基」の文字から、当時は板石塔婆を「青石」と呼んでいたことなどを知ることができ、資料としても貴重です。
多少の風化は認められますが、彫りも深くどっしりしており、南北朝時代初期を代表する板石塔婆といえましょう。(大宮市教育委員会掲示より)

宝積寺の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」