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満福寺。さいたま市北区日進町にある真言宗智山派寺院

満福寺の概要

真言宗智山派寺院の満福寺は、楽邦山聖天院と号します。満福寺の創建年代等は不詳ながら、弘安5年(1282年)に興雲尊者が開基、徳川家康入国後には寺領10石の御朱印状を拝領したものの、寛永18年(1631)罹災し御朱印状を焼失してしまい、貞享2年(1685)より改めて寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。足立坂東三十三ヶ所霊場初番、足立三十三所霊場33番、北足立八十八ヵ所霊場4番です。

満福寺
満福寺の概要
山号 楽邦山
院号 聖天院
寺号 満福寺
住所 さいたま市北区日進町2-1003
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



満福寺の縁起

満福寺の創建年代等は不詳ながら、弘安5年(1282年)に興雲尊者が開基、徳川家康入国後には寺領10石の御朱印状を拝領したものの、寛永18年(1631)罹災し御朱印状を焼失してしまい、貞享2年(1685)より改めて寺領5石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による満福寺の縁起

(上加村)満福寺
新義眞言宗、山城國醍醐無量壽院の末、楽邦山正覺寺と號す、永仁六年僧興雲草創すと云、興雲は正和元年五月廿八日寂す、當寺元十石の御朱印なりしが、寶永十八年丙丁の災に罹りて、御朱印を焼しより半を減ぜられて五石の御朱印を賜へり、本尊は彌陀を安ず。
鐘楼。延寶三年の鐘なり。
不動堂。
清龍権現社。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による満福寺の縁起

楽邦山満福寺略縁起
当山は真言宗智山派に属し、聖天院楽邦山と号している。
御本尊は阿弥陀如来坐像。
当山の由緒は不詳ですが、当院の過去帳の記録に依ると、鎌倉時代弘安五年(一二八二年)三月、道教方親玄より法流相続せる興雲尊者を以って開基の祖となす。その後徳川時代に至り、一代将軍家康公より御朱印十石を賜り代々寄進を受ける。寛永十八年(一六三一年)一山炎焼し、宝物一切を焼失したが、貞享二年(一六八五年)第二十世宥悦上人御朱印の復帰を出願され五石を賜る。その後、宝永五年(一七〇八年)第二十三世信栄上人を住し、一山を再興し中興の祖となる。
安政三年(一八五六年)八月二十五日、大暴風の為本堂客殿崩潰するも、檀信徒の寄進を賜り、第三十二世山学上人に依り復興する。明治維新の砌り、足立坂東第一番の札所大宮氷川神社の別当観音寺を移し、其の本尊聖観音像を脇本尊とする。(境内掲示より)


満福寺の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」