猫の足あとによるさいたま市の寺院、神社、観光名所などさいたま市の寺社案内 猫の足あとによるさいたま市の寺院、神社、観光名所などさいたま市の寺社案内
猫の足あとによる埼玉県寺社案内

金剛院。さいたま市北区日進町にある真言宗智山派寺院

金剛院の概要

真言宗智山派寺院の金剛院は、花臺山大聖寺と号します。金剛院の創建年代等は不詳ながら、南北朝時代(1336-1392)以前の創建と伝えられ、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)寺領4石の御朱印状を拝領、慶安2年(1649)には10石4斗に加増、近郷の寺社を管理していたといいます。北足立八十八ヵ所霊場27番です。

金剛院
金剛院の概要
山号 花臺山
院号 金剛院
寺号 大聖寺
住所 さいたま市北区日進町1-758
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



金剛院の縁起

金剛院の創建年代等は不詳ながら、南北朝時代(1336-1392)以前の創建と伝えられ、徳川家康の関東入国に際して天正19年(1591)寺領4石の御朱印状を拝領、慶安2年(1649)には10石4斗に加増、近郷の寺社を管理していたといいます。

新編武蔵風土記稿による金剛院の縁起

(下加村)金剛院
天正十九年寺領四石の御朱印を賜はり、元禄年中加賜して都合十石四斗の寺領となれり、新義眞言宗、京都無量壽院の末、昔は下野國足利郡鶏足寺の末なりしが、中興開山空正の時、元禄二年今の末となれりといふ花臺山大聖寺と號す、本尊は不動を安置せり。
観音堂。観音は行基の作なり、近き頃回禄の災にかかりしより、此堂未だ再建に及ばざれば、かりに客殿に安置せり。
天神社、浅間社。
鐘楼。近年の鑄造なり。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による金剛院の縁起

金剛院は真言宗智山派のお寺です。真言宗智山派とは、総本山に京都東山七条智積院、大本山に成田山新勝寺、川崎大師平間寺、高尾山薬王院、別格本山に高幡不動金剛寺、大須観音寶生院を始めとする、全国に三千あまりのお寺を有する宗団です。
金剛院の創建は古く南北朝時代(一三三六ー一三九二 室町時代初期)以前と言われていますが、度重なる火災により当時の文献等はなく、南北朝時代の仏像(木造宝冠釈迦如来坐像・さいたま市指定文化財)のみが現存しております。
金剛院は天正十九年(一五九一)徳川家康公より川河越内に寺領四石を賜り、慶安二年(一六四九)八月二十四日には、徳川家光公より下加村内に十石四斗の朱印地を拝領し、下加村(日進一丁目)西谷村(日進三丁目)の菩提寺となりました。今でも金剛院には十通の御朱印状が残されています。
寛永期(一六二四-一六四三)の本末帳によれば、金剛院は下野国(栃木県)足利鶏足寺(平将門伝説のある寺)の末寺でした。金剛院には元禄二年(一六八九)中興開山空正の時の醍醐松橋無量寿院直末許可状が残されており、その後の寛政期(一七八九-一八〇〇)の本末帳には、松橋無量寿院末寺と記されております。これらのことは、新編武蔵風土記稿・武蔵国郡村誌にも記されております。
この空正の時に本尊に不動明王を安置し、花臺山金剛院大聖寺と号しました。当時、金剛院内には、行基菩薩作の観世音菩薩を安置した観音堂(江戸時代に焼失、再建されず)、浅間社(現下加公園)、天神社があり、他に氷川社、八幡社、熊野社を管理していました。
また、金剛院には、下加村大乗院(福寿山と号し本尊は不動明王。稲荷社・牛頭天王社を管理していたが、明治四年八月廃寺。現陸上自衛隊大宮駐屯地敷地内にあり、金剛院鐘楼堂横の宝篋印塔は大乗院より移設)、無量寺(西谷山と号し本尊は不動明王。現日進三丁目阿弥陀堂)、照明院(下加村)、光福寺(医王山と号し本尊に薬師如来を安置。大成村)、阿弥陀堂(西谷村にあり、明治十九年一月一日本堂・庫裡焼失。その後再建され、正和四十七年現在の本堂完成)等の末寺がありましたが、明治初期の廃仏毀釈により、多くの寺が廃寺になりました。
金剛院は廃仏毀釈の難を逃れましたが、慶長年間(一五九六-一六一四)に建立され延享年間(一七四四-一七四七)に再建された本堂が明治十七年五月十九日、火災により焼失してしまいました。明治二十三年、与野より本堂資材を購入し再建された旧本堂は、昭和四十三年に大改修が施されましたが、近年老朽化が著しい為、平成二十年に現本堂が建立されました。
山門は江戸時代中期の建立でしたが、正阿六十三年に再建されました。鐘楼堂も江戸時代中期の建立でしたが、梵鐘は太平洋戦争時に供出され、正阿五十九年弘法大師御入定千百五拾年御遠忌記念の際に新鋳、鐘楼堂は平成十五年に再建されました。(境内掲示より)


金剛院所蔵の文化財

  • 木像宝冠釈迦如来坐像(さいたま市指定文化財)

木像宝冠釈迦如来坐像

金剛院には、さいたま市指定文化財の木像宝冠釈迦如来坐像があります。この像の制作年代南北朝時代(一三三六-一三九二 室町時代初期)とされ、像高四〇・五cm、膝張二八・二㎝、裳裾垂下長五・四cm。この像は寄木造で、髪を頭上に高く束ね結い上げ、衣のひだを煩わしいほどに形づくり、裳先を前面に垂らすなど、作風に宋元風の特色をもつ作品と思われます。像の前面は後世に塗り替えられていますが、背面は当初のままで、漆地の上に細長く切った金箔で文様を描いています。光背も塗り替えられていますが当初のままとみられ、透かし彫りのなかに上部中央に大日如来像を頂き、左右に三躰ずつ空中を舞う天人が楽器を奏で、左右基部近くには、極楽にいるという想像の鳥(迦陵頻迦)が一対配されています。このように、この仏像は特異な形容であり、彫刻としても優れています。(境内掲示より)

金剛院の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」