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土呂阿弥陀堂(浄職院)。さいたま市北区土呂町にある旧真言宗智山派堂宇

土呂阿弥陀堂(浄職院)の概要

土呂阿弥陀堂は、旧真言宗智山派寺院で水光山神前寺浄職院と号していました寺院跡です。土呂阿弥陀堂(浄職院)の創建年代等は不詳ながら、江戸時代には浄職院として土呂村の菩提寺となっていたといいます。明治初期に浄職院は廃寺となり、現在は阿弥陀堂と称しています。

土呂阿弥陀堂
土呂阿弥陀堂(浄職院)の概要
旧山号 水光山
旧院号 浄職院
旧寺号 神前寺
住所 さいたま市北区土呂町2-84-1
旧宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来像
葬儀・墓地 -
備考 -



土呂阿弥陀堂(浄職院)の縁起

土呂阿弥陀堂(浄職院)の創建年代等は不詳ながら、江戸時代には浄職院として土呂村の菩提寺となっていたといいます。明治初期に浄職院は廃寺となり、現在は阿弥陀堂と称しています。

新編武蔵風土記稿による土呂阿弥陀堂(浄職院)の縁起

(土呂村)浄職院
水光山神前寺と號す、新義真言宗、植田谷本村林光寺末、阿弥陀を安ず。
天神社。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による土呂阿弥陀堂(浄職院)の縁起

阿弥陀堂
この地には、明治の初めまで大きな本堂をもつ浄職院というお寺がありました。土呂村の菩提寺となっており、吉田、小島、川島、秋山、薄田など旧家の墓地が多くあります。
江戸時代半ばになると見沼代用水西縁が掘られ、当地と江戸が舟で結ばれたこともあり、村民も”読み書きそろばん”を習うようになります。享保14年(1729)に没した俊長和尚の墓石は和尚から教えを受けた生徒(筆子)17人により建てられました。筆子の建てた墓石を筆子塔と呼んでいますが、「筆子」と書かれたものでは大宮で最も古いものです。その後も明治に至るまで歴代の和尚が先生になって寺小屋がこの地で開かれました。
近くの神明神社・土呂の大杉跡、市民の森、見沼グリーンセンター、小島家長屋門へはいずれも徒歩3〜4分の距離です。(さいたま市教育委員会生涯学習部文化財保護課掲示より)


土呂阿弥陀堂(浄職院)の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」