本太氷川神社。さいたま市浦和区本太の神社

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本太氷川神社。「元府址」の伝承、地頭高埇左衛門盛影が造立寄進

本太氷川神社の概要

本太氷川神社は、さいたま市浦和区本太にある神社です。本太氷川神社の創建年代は不詳ですが、元府址であったとも伝えられるといい、宝徳3年(1451)に当地の地頭高埇(たかはな)左衛門盛影が氷川大明神の大檀那として、神輿と鳥居を造立寄進したといい、古くから当地本太の鎮守社だったといいます。

本太氷川神社
本太氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 恵比須大黒、八雲社
住所 さいたま市浦和区本太4-3-33
祭日 -
備考 -



本太氷川神社の由緒

本太氷川神社の創建年代は不詳ですが、元府址であったとも伝えられるといい、宝徳3年(1451)に当地の地頭高埇(たかはな)左衛門盛影が氷川大明神の大檀那として、神輿と鳥居を造立寄進したといい、古くから当地本太の鎮守社だったといいます。

「埼玉の神社」による本太氷川神社の由緒

当地の地形は、おおむね平坦であるが、東西に狭く、南北に長い小さな谷をなしている。地名の由来は、当社の鳥居扁額に「元府址(もとふと)」と書かれていることから、国府の出先機関があったからという説、「ふと」は低地や耕作・居住に適する地上いう意味がある太めという説がある。当社は本太の古くからの集落のほぼ中央に鎮座し、その境内には武蔵野では珍しい落葉樹「ソロ」の木が茂っている。
勧請の年代は明らかでないが、当社には、慶安三年(一六五〇)に建立された県指定文化財の旧本殿と、同じく県指定文化財の宮殿の二基が安置されている。この宮殿は文安五年(一四四八)銘の案に載せられ、その前に木鉾が立てかけられている。その銘文によると、宝徳三年(一四五一)九月二十四日、当地の地頭高埇(たかはな)左衛門盛影が氷川大明神の大檀那として、神輿と鳥居を造立寄進したものである。また、取持奉行は、めうおん寺の二位僧都賢永、大工はにいくらの二郎三郎、かぬミつ、同左衛門二郎の名が見える。
大檀那の高埇左衛門盛影とは、高鼻郷(高埇郷)を本領する武士とされる高鼻和太郎の後裔と考えられる。同郷は現浦和市から大官市にかけての地域に比定される。『吾妻鏡』文治五年(一一八九)七月十九日の条に、奥州平泉の藤原氏攻めに向かう源頼朝の軍勢の中にこの高鼻和太郎の名が見える。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による本太氷川神社の由緒

(元太村)氷川社
村の鎮守なり
末社。住吉社(新編武蔵風土記稿より)


本太氷川神社所蔵の文化財

  • 本太氷川神社宮殿一基(埼玉県指定有形文化財)
  • 本太氷川神社旧本殿(埼玉県指定有形文化財)

本太氷川神社宮殿一基

この宮殿は、旧本殿内にあったもので、幅三一・三センチメートルの方形の底板に地長神、内法長押をまわし、正面のみ板唐戸となっている。照りむくりの方形造りの屋根がのり、頂には露盤と宝珠を配している。総高は七四・八センチメートルを測る。神輿形であるが、轅を取り付けた跡がみられないので、宮殿として作られたものと思われる。屋根裏の墨書銘により、宝徳三年(一四五一)に新坐の大工次郎三郎らが造り、高埇左衛門盛影が大檀那となり寄進したことが知られる。これをのせる案にも文安五年(一四四八)の墨書銘がある。木鉾は、宮殿の前に組んで立てかけられており、各長さ一・六七メートルの素朴な作りである。
これらは中世の神社本殿内を知る上で、また、中世の郷である高埇郷の支配を知る上で欠くことのできない資料である。
なお、旧本殿は桃山時代の建立になる一間社流見世棚造り、市指定有形文化財となっている。(埼玉県教育委員会掲示・浦和市教育委員会掲示より)

本太氷川神社旧本殿

この旧本殿は、旧本太村の鎮守である本太氷川神社の本殿建て替えにあたり、現在地に移され、覆屋に納められて保存されることになったものである。形式は、一間社流れ見世棚造りである。
見世棚は、流造りや春日造りの本殿で、身舎の前面から向拝柱までの部分に棚状の床板が張られる形式であり、中世の絵巻物等に境内社、末社、小祠としてよく描かれている。一間社流れ造りの小規模な本殿が多いが、二間社、三間社もあり、内谷氷川神社本殿(浦和市内谷二丁目一五六〇 埼玉県指定文化財)では一間社二棟並列の形式をとる。国指定文化財の見世棚造り本殿は、近畿・中部地方に偏在するが、近世神社建築の調査が進むにつれ、浦和・大宮周辺では相次いで確認されている。
この旧本殿は蟇股が無いなど装飾的な部分が少なく、他に類例が無い。おそらくは、それ以前に存在した古い時代に建立された本殿を参考にして、その当時の一般的な本殿と比べ、より古い形態を守って建立されたものと考えられる。なお、この旧本殿内に納められていた宮殿(埼玉県指定有形文化財)には宝徳三年(一四五一)の墨書銘があり、それをのせる案には文安五年(一四四八)の墨書銘がある。
付指定の慶安三年(一六五〇)の護摩札(棟札)は、平成四年(一九九二)から二年をかけて行なわれた解体修理の際に、本殿内部から発見された。(埼玉県教育委員会掲示・浦和市教育委員会・氷川神社掲示より)

本太氷川神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)