岸町神明社。さいたま市浦和区岸町の神社

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岸町神明社。さいたま市浦和区岸町の神社

岸町神明社の概要

岸町神明社は、さいたま市浦和区岸町にある神社です。岸町神明社の創建年代は不詳ですが、永仁年間(1293-98)の勧請といい、調神社の末社だったともいいます。

岸町神明社
岸町神明社の概要
社号 神明社
祭神 大日孁貴命
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市浦和区岸町2-6-8
祭日 -
備考 -



岸町神明社の由緒

岸町神明社の創建年代は不詳ですが、永仁年間(1293-98)の勧請といい、調神社の末社だったともいいます。

「埼玉の神社」による岸町神明社の由緒

神明社(岸町2-6-8)
岸町三丁目の中山道沿いに鎮座する調神社は、社伝によると開化天皇の時の創建で、崇神天皇の勅命により伊勢神宮の斎主倭姫命が当地に来て、この岡を選び調物を納める倉を建て、武蔵野の初穂米や調の収納所と定めたとされ、主祭神は伊勢の内宮と外宮と同一の天照大御神と豊受比賣命の二柱で、素盞嗚命を配祀する。
当社はこの調神社の南東に当たる岸町二丁目に祀られており、祭神は天照大御神の別称である大日孁貴命である。口碑に当社は調神社の末社であるということから、その創建には調神社とのかかわりがあったと考えられる。『郡村誌』に当社は「永仁年中(一二九三~九九)の勧請」とのみ記され、その経緯については明らかでない。調神社にかかわる社であるとするならば、同社の創建の古きから推して、当社の創立も鎌倉期の永仁年中にまでさかのぼるのは至当であろう。
別当は『風土記稿』によると、浦和宿玉蔵院末の真言宗福寿寺であった。『郡村誌』に既に見えないことから、明治初年に廃寺になった模様である。
古老の記憶によれば、昭和初めの当社境内は雑木林や身の丈ほどの笹薮で覆われていて、その中に教本の老杉の大木がそびえていた。この老杉の根元に祀られていた石祠が当社で、氏子から「神明様」と呼ばれていた。昭和十年の社殿建設を機に本格的な整備が進められた。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による岸町神明社の由緒

(岸村)神明社
持前(調神社の別当月山寺)に同じ(新編武蔵風土記稿より)


岸町神明社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)