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大倭神社。さいたま市西区三橋の神社

大倭神社の概要

大倭神社は、さいたま市西区三橋にある神社です。大倭神社は、日本武尊東征の際に素盞嗚尊を祀り創建したと伝えられ、正徳年間(1711-1716)に時の地頭の安藤治右衛門や代官の中村左衛門禰宜刑部らが力を合わせて社殿を建立したといいます。明治40年に地内の無格社や近在の村社など一七社を合祀、明治43年に大倭神社と改称したといいます。

大倭神社
大倭神社の概要
社号 大倭神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 倉稲魂命、應神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日孁貴命、猿田彦命、建御名方命、市杵嶋姫命、保食命、菅原道真公、天照大御神、奥津比古命、日本武尊、少彦名命
境内社 稲荷社、八幡、水神、大神宮、辨天、庚申
住所 さいたま市西区三橋6-411
祭日 -
備考 旧村社



大倭神社の由緒

大倭神社は、日本武尊東征の際に素盞嗚尊を祀り氷川神社として創建したと伝えられ、正徳年間(1711-1716)に時の地頭の安藤治右衛門や代官の中村左衛門禰宜刑部らが力を合わせて社殿を建立したといいます。明治40年に地内の無格社や近在の村社など一七社を合祀、明治43年に大倭神社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による大倭神社の由緒

(上下内野村)
氷川社
神體は古鏡を置、舊きものとは見ゆれど、鐫字なければ考ふるに由なし。
末社。荒脛社、住吉社、第六天社、疱瘡神社、稲荷社、二十三夜社。
別當吉祥院
本山修験、中尾村玉林院配下、開山永源寛永十一年示寂、不動を安ず、安阿彌の作と云。
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八幡社
神明社
諏訪社
天王社
辨天社
稲荷社二宇
以上七社、共に養福寺の持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大倭神社の由緒

大倭神社<大宮市三橋六-四一一(下内野字東耕地)>
社記によると、当社は、景行天皇の御代に日本武尊が東征の途次、当地に足を止めて素盞嗚尊の神霊を奉斎したことに始まる。下って、正徳年間(一七一一-一六)に時の地頭の安藤治右衛門や代官の中村左衛門禰宜刑部らが力を合わせて社殿を建立、境内を整えたという。総代の並木家に「正徳貳□辰八月吉日 本願主黒田久左衛門謹記」と記された当社にかかわる棟札があることから、右の社記に見える社殿の建立は、正徳二年(一七一二)のことと思われる。ただし、棟札のその他の記述については磨滅して文字が判読できなくなっている。
『風土記稿』上下内野村の項に「氷川社 神体は古鏡を置、旧きものとは見ゆれど、鐫字なければ考ふるに由なし、末社 荒脛社 住吉社 第六天社 疱瘡神社 稲荷社 二十三夜社 別当吉祥院、中尾村玉林院配下、開山永源寛永十一年(一六三四)示寂、不動を安ず、安阿彌の作と云」とある。現在、「(梵字)正一位氷川大明神氏子安全祈攸 別当吉祥院」と刻む版木が並木家に残されている。
神仏分離を経て、当社は明治六年に村社となった。一方、吉祥院はこれに伴って廃寺となり、最後の法印は宮野監物と名乗って復飾し、明治九年に没するまで神職として当社に奉仕した。その後、明治四十年に地内の無格社や近在の村社など一七社が当社に合祀され、これを機に明治四十三年に当社は大倭神社と改称され、今日に至っている。(「埼玉の神社」より)


大倭神社所蔵の文化財

  • 大倭神社の庚申塔(市指定有形民俗文化財)

大倭神社の庚申塔

この辺りは江戸時代には上下内野村と呼ばれていた地域で、ここには村の鎮守である氷川神社が祀られています。明治四十年に村内の社を合祀し、同四十三年に大倭神社と変更、現在に至っています。
平安時代頃から宮中で行われていた庚申信仰は、平安時代になって庶民の間に広まります。六十日に一回の庚申の日に寄り合い信仰を行いますが、心づくしの料理を持ち寄っての庚申信仰は大きな楽しみでもあったことでしょう。この庚申塔は、江戸時代中期の享保六年(一七二一)三月に当村上組の人々により造立されたもので、二五六cmの高さ、造形美など市内で最も優れた庚申塔です。青面金剛像が笠の上に坐し、塔身中央には愛らしい二童子が彫られています。
現在は、氏子総代が年末に注連縄を張り替え、お守りされています。将来にわたり伝えていきたい庚申塔です。(大宮市教育委員会掲示より)

大倭神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)